「 ポリジェニックリスクスコアで、薬剤性肝障害の感受性を規定する 」― ゲノムから疾患のなりやすさを予測する ―

 東京医科歯科大学統合研究機構の武部貴則教授の研究グループ(研究開始時の所属、横浜市立大学)は、武田薬品工業株式会社と京都大学iPS 細胞研究所 (CiRA)の共同研究プログラムであるT-CiRA Joint Program※1 の一環として、個人のゲノム情報から算出したPRS (ポリジェニックリスクスコア)がDILI (薬剤性肝障害)の罹患感受性を予測しうることをヒトiPS 細胞由来肝オルガノイド、ヒト肝細胞、臨床データを用いて示しました。今後、薬剤開発の主要な終了要因の一つであるDILI を精度高く予測できる前臨床試験の開発や、PRS を活用することで被験者のDILI リスクを加味した臨床試験のデザインにつながります。さらに、この研究によって提唱された、ゲノム情報の明らかなヒト細胞とPRS を組み合わせる「Polygenicity in a dish」と呼ぶ新しい研究戦略を用いることで、DILI のみならず、さまざまな疾患に対する理解が深まり、個別化医療・予防医療への展開が期待されます。
 この研究成果は、国際科学誌Nature Medicine(ネイチャーメディシン)に、2020 年9 月7 日午後4 時(英国夏時間)にオンライン版で発表されました。


【ポイント】
  • 2 万以上の遺伝的多型※2から算出したPRS (ポリジェニックリスクスコア)※3がDILI (薬剤性肝障害)※4の遺伝的感受性を予測しうることを示しました。
  • ヒトiPS 細胞由来肝オルガノイド※5、ヒト肝細胞を用いた検討から、DILI の感受性は酸化ストレスや小胞体ストレスなどのメカニズムに関連することを明らかにしました。
  • PRS の高い個人では、臨床でDILI を発症する頻度が高いことが示されました。
  • 薬剤開発段階においてDILI の予測精度の高い前臨床試験・臨床試験の実現に貢献します。
  • ゲノム情報の明らかなヒト細胞とポリジェニックリスクスコアを組み合わせる「Polygenicity in a dish」と呼ぶ新しい研究戦略によって、さまざまな疾患に対する個別化医療・予防医療への展開が期待されます。

【研究の背景】
 薬物性肝障害(DILI)は1 万人から10 万人に1人が発症する稀な副作用ですが、医薬品開発プログラムや市場から薬剤が消失する最大要因になっており、第III 相臨床試験における臨床試験の終了は12 年間で1800 億円の損失に上ると報告されています。このことから前臨床段階における高精度な医薬品候補の毒性予測が必要になっています。そこで、国際的にDILI の遺伝的感受性が存在するのかどうか検証するため、iDILIC※6 やDILIN※7 といった国際ゲノムコンソーシアムで取得したGWAS※8 データの解析が行われているものの、予測に有益な特定の遺伝的多型を見出すことは困難でした。
 こうした背景のもと本研究では、DILI の発症や進展には無数の遺伝的多型が関与していると仮説を立て、数万のリスク因子を加味したモデルであるポリジェニックリスクスコア(PRS)を算出することによって個人毎のDILI 感受性の予測が可能であるか検証を行いました。すなわち、ヒトiPS 細胞由来肝オルガノイド、ヒト肝細胞、臨床データを用いて、欧米のゲノムコンソーシアムで取得したGWAS※8データから構築されたPRS によるDILIの遺伝的感受性の予測可能性を検証するとともに、それらの感受性を規定していると考えられるメカニズム特定を試みました。


【研究成果の概要】
(1)培養ヒト肝細胞の評価によりポリジェニックリスクスコアがさまざまな薬剤によるDILI 感受性を層別化
 まず、150 種以上のDILI を発症する薬剤(DILI 薬剤)に対してDILI を発症した862 人のゲノムデータを用いたiDILIC およびDILIN の GWAS 解析結果より、PRS に用いる遺伝的多型とリスク算出に用いる重みを決定しました。
 次にヒト肝細胞およびiPS 細胞由来肝オルガノイド合計26 ドナーに対して、SNP アレイから取得したゲノム情報より各ドナーのPRS を算出し、DILI を発症することが報告されている薬剤12 種類を処理し、実験的に生存率を評価しました。その結果、PRS と生存率は負の相関を示し、すなわちPRS の高いドナーでは軒並み生存率が低下することが示されました。26 名の異なる患者に由来する培養ヒト細胞を用いて複数の薬剤での評価を行った結果、PRS によるDILI のリスク層別化はさまざまな薬剤で有効であることが示唆されました。


図1. DILI薬剤処理時の生存率とPRSの相関比較

(2) 臨床試験データの再解析によりポリジェニックリスクスコアがDILI 感受性を層別化
 次に、PRS を算出したGWAS とは独立した臨床試験データで、臨床でのDILI の予測が可能かを調べました。DILI は障害を受ける細胞によって、胆汁うっ滞・混合型DILI (CM-DILI), 肝細胞障害型DILI(HC-DILI)と大きく2 つに分類されます。今回、特に CM-DILI の患者のGWAS からそれぞれPRS に用いる遺伝的多型とリスク算出に用いる重みを決定し、Fasiglifam、Flucloxacillin、およびAmoxicillin-Clavulanate によりDILI を発症した臨床試験データで、PRS がコントロール群とDILI 発症群を分けることができるか検討しました。その結果、CM-DILI のGWAS を基に算出されたPRS でのみコントロール群とDILI 発症群とで有意差を示しました。患者のデータによっても、PRS によるDILI 感受性予測が可能であることが示唆されました。

      
図2. 各種薬剤のDILI患者におけるPRSの分布

(3) ポリジェニックリスクスコアは小胞体ストレスや酸化ストレスに関連
 PRS を規定する遺伝的多型※8 近傍には、酸化ストレス、ER ストレス、ミトコンドリア活性に関連する遺伝子群が多く集積していることが判明しました (図3A)。 そこで、DILI の感受性に関連するメカニズムを検討するため、PRS でDILI リスクを予測したiPS 細胞由来肝オルガノイドを用いてDILI 薬剤処理下の遺伝子発現解析、機能解析を行いました。ヒトiPS 細胞由来肝オルガノイドのDILI 薬剤処理下の遺伝子発現解析では、PRS が高いほどミトコンドリア活性に関する遺伝子発現が減少し、ER ストレス関連遺伝子の発現が増加する傾向が得られました(図3B)。さらに、抗酸化ストレス作用を有するバルドキソロンを添加することでPRS が特に高いドナー由来のiPS 細胞由来肝オルガノイドで生存率が大幅に回復したことから(図3C)、DILI の遺伝的リスクの高いドナーがDILI を発症した際の酸化ストレスの関与が実験的にも示されました。以上より、 DILI 感受性に関連するメカニズムの一端が解明され、今後抗酸化ストレス作用を有する薬剤を処置するといったDILIの予防対策も取りうる可能性が示唆されました。

図3. DILIの感受性に関連するメカニズムの解析
A: PRSに関連する遺伝子経路の評価
B: ヒトiPS細胞由来肝オルガノイドにおけるDILI薬剤処理下の蛍光染色。上段は小胞体ストレスを、下段は酸化ストレスを示す。
C: ヒトiPS細胞由来肝オルガノイドにおけるDILI薬剤および抗酸化剤処理下の生存率の比較


【研究成果の意義】
  • 本研究では、DILI がPRS によって予測できることを遺伝子、細胞、オルガノイド、ヒト臨床研究データを用いて初めて示しました。
  • iPS 細胞を用いる利点を活用し、PRS が紐づいたiPS 細胞由来肝オルガノイドパネルを毒性・創薬スクリーニングに応用することで、個人の疾患リスクを予測した個別化治療への貢献が期待されます。
  • 生活習慣病、非家族性がんおよび統合失調症などの多因子疾患の発症や進展にも、無数の遺伝的多型が関与していることが示唆されています。本論文で提案されたPRS と培養細胞を組み合わせた「Polygenicity in a dish」と呼ぶ新たな研究戦略が、さまざまな疾患研究に役に立つ可能性があります。

【用語解説】
※1 T-CiRA(Takeda-CiRA Joint Program for iPS Cell Applications)
2015 年に設立されたCiRA と武田薬品の10 年間の共同研究プログラムのこと。武田薬品が200 億円の提携費用を提供し、CiRA の山中伸弥所長の指揮のもと、CiRA, 理化学研究所, 東京医科歯科大学の研究者のリードによりiPS 細胞技術の臨床応用に向けた最先端の研究を行っています。本研究課題については、2016 年11 月より、横浜市立大学とT-CiRA で共同研究を開始しました(2019 年1 月より、武部教授が東京医科歯科大学へ転籍)。

※2 遺伝的多型
ゲノムのDNA 配列が個人間で異なる箇所のうち、集団内で高い頻度(1%など)で存在するもの。

※3 PRS (ポリジェニックリスクスコア)
GWAS※7 から得られる「1つの遺伝的多型が、ある疾患のリスクをどの程度予測できるか」という要約統計量を実際の個人のゲノム情報に掛け合わせることで「その遺伝的多型のみから予測される個々人の疾患リスク」が推定されるが、それをゲノム上の多数の遺伝的多型にわたって足し合わせてスコア化したもの。特定の疾患に対する個人の遺伝的発症リスクを評価します。

※4 DILI (薬剤性肝障害)
薬物が原因で起こる重大な副作用の一つで、肝臓に起こる炎症のこと。障害を受ける細胞によって、胆汁うっ滞・混合型DILI, 肝細胞障害型DILI と大別されます。

※5 オルガノイド
生体内で存在する器官に類似した組織構造体のこと。近年盛んに研究が進んでいる領域であり、武部らは2013 年、2015 年、2017 年にさまざまな臓器のオルガノイドの作成についてNature 誌( Nature499(7459):481-4, 2013)、Cell Stem Cell 誌(Cell Stem Cell, 16(5):556-65, 2015)、Cell Reports 誌(CellReports 21, 2661–2670, 2017)に報告しています。

※6 iDILIC
重篤有害事象国際コンソーシアム The International Serious Adverse Event Consortium (SAEC)がGWAS研究のために確立した英国で実施されている国際的な臨床ネットワーク。1,300 以上のDILI 患者の臨床情報及びゲノム情報が登録されている。International Drug-Induced Liver Network (iDILIC)の略称。

※7 DILIN
アメリカ国立衛生研究所が資金を提供する学術機関からなるコンソーシアム。DILI の診断等に役立てるために市販薬、サプリメントなどの代替薬によってDILI を発症した患者の臨床情報及びゲノム情報が登録されている。
Drug-Induced Liver Injury Network (DILIN)の略称。

※8 GWAS (ゲノムワイド関連解析研究)
疾患発症や身体測定値などの個々人間の違いに影響する遺伝的多型を網羅的に探索する手法。ヒトを対象としたGWAS では、数千万カ所の遺伝的多型それぞれで、疾患との関連の強さや予想される影響の大きさ(疾患発症GWAS であれば発症リスク)といった統計量が得られる。Genome-Wide Association Study の略称。


【論文情報】
掲載誌: Nature Medicine
論文タイトル: Polygenic architecture informs potential vulnerability to drug-induced liver injury


【研究者プロフィール】
武部 貴則 (タケベ タカノリ) Takebe Takanori
東京医科歯科大学 統合研究機構
先端医歯工学創成研究部門 創生医学コンソーシアム 教授
横浜市立大学 特別教授
・研究領域
幹細胞生物学、再生医学など

小井土 大 (コイド マサル) Koido Masaru
横浜市立大学大学院医学研究科 臓器再生医学 特任助手(研究当時)
現 東京大学医科学研究所 人癌病因遺伝子分野 特任助教
・研究領域
遺伝統計学、機械学習

川上 絵理(カワカミ エリ) Kawakami Eri
武田薬品工業株式会社
T-CiRA Discovery 主任研究員
・研究領域
幹細胞生物学など
本件に関するお問合わせ先
横浜市立大学 研究・産学連携推進課
E-Mail:kenkyupr@yokohama-cu.ac.jp

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組織名
横浜市立大学
ホームページ
https://www.yokohama-cu.ac.jp/
代表者
小山内 いづ美
所在地
〒236-0027 神奈川県神奈川県横浜市金沢区瀬戸22-2
連絡先
045-787-2311

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