【研究成果のポイント】
◆17万人の大規模なヒトゲノム情報の解析により、日本人集団の適応進化に関わる29の遺伝子領域を同定
◆日本人集団では、アルコール摂取量・腎機能・肥満・免疫疾患が適応進化の対象である一方、欧米人集団では、パン摂取量・握力・歩く速さ・背骨の関節炎が対象であることが判明
◆お酒やパンといった食生活習慣が、人類の適応進化に深く関わっていることが明らかに
◆今後、適応進化の歴史の解明や、遺伝的背景を考慮した健康増進への寄与が期待される
◎概要
大阪大学大学院医学系研究科の岡田随象教授(遺伝統計学)らの研究グループは、バイオバンク・ジャパン※1 により収集された日本人集団17万人を対象とした大規模ヒトゲノム情報解析により、日本人集団の適応進化※2 に関わる29の遺伝子領域を同定しました。また、UKバイオバンク※3 により収集されたデータの解析により、日本人集団と欧米人集団で適応進化の対象となった形質が異なることを明らかにしました。
今回、研究グループは、各遺伝子変異の共通祖先の系譜を探索する遺伝統計解析を行うことで、過去1~2万年において適応進化の対象となっていた29の遺伝子領域を同定しました(図1)。特に、アルコール代謝に関わるADH1B(alcohol dehydrogenase1B:1B型アルコール脱水素酵素)遺伝子領域が、長い期間に渡って最も影響を大きく受ける適応進化の対象となっていたことが明らかになりました。
さらに、日本人集団においてこれまでに知られている、病気の発症や臨床検査値※4、食生活習慣など100以上の形質に影響を与える遺伝子変異について適応進化との関連を調べたところ、飲酒量や飲酒歴などアルコール摂取量に加え、腎機能・肥満・免疫疾患が適応進化の主な対象であったことが明らかになりました。一方、UKバイオバンクが収集した欧米人集団11万人を対象にした解析では、パン摂取量・握力・歩く速さ・背骨の関節炎が、適応進化の対象であったことが判明しました。これらの結果、各集団が独自の適応進化を遂げてきたことを示すだけでなく、お酒やパンといった食生活習慣が人類の適応進化に深く関わっていることを示すと考えられました。本研究成果により、日本人集団の適応進化の歴史の解明や、遺伝的背景を考慮した健康の増進に寄与すると考えられます。
本研究成果は、英国科学誌「Molecular Biology and Evolution」(オンライン)に、1月20日(月)21時00分(日本時間)に公開されました。
◎研究の背景
生物の性質が、周囲の環境に対応して世代を経るごとに変化する現象を、適応進化と呼びます。適応進化は地球上の生物で広く観察される現象であり、適応進化の過程では、生物の設計図であるゲノム配列に変化が生じます。そのため、特定のヒト集団におけるゲノム配列の多様性についてどのように変化してきたかを調べることにより、その集団において、ゲノム配列上のどの遺伝子領域が、どういった環境の変化に対応して適応進化してきたかを知ることができます。
ヒト集団の適応進化の過程は、各集団における地理的条件や生活環境に応じて世界各地で異なることが知られています。研究グループは以前、日本人集団2000名のゲノムデータの解析を行い、日本人集団の適応進化に関わる4カ所の遺伝子領域を同定しました。日本人集団の適応進化にアルコール代謝が関わり、お酒に弱くなる方向に進化してきたことを報告していました (Okada Y et al. Nat Commun 2018)。現在、世界各国で10万人以上を対象とした大規模バイオバンク事業が行われており、これらの大規模なヒトゲノム情報を活用することで、より詳細な適応進化の解明が可能になると期待されていました。
◎本研究の成果
今回、研究グループは、バイオバンク・ジャパンにより収集された日本人集団17万人のヒトゲノム情報を対象に、適応進化の解析を行いました。ヒトゲノム上の各ゲノム領域内に含まれる複数の遺伝子変異の共通祖先の系譜を高速に探索するASMC(Palamara PF et al. Nat Genet 2018)※5 という遺伝統計解析手法を採用したことで、大規模ヒトゲノム情報を対象とした適応進化の解析を、ヒトゲノム全域に渡って行うことが可能になりました。その結果、過去1~2万年において日本人集団の適応進化の対象となっていた29の遺伝子領域を同定することに成功しました。特に、アルコール代謝に関わるADH1B遺伝子領域において最も強い適応進化の影響が認められ、日本人集団における適応進化の鍵となる遺伝子領域であると考えられました。
さらに、日本人集団の適応進化に影響を与えた形質について調べました。これまでに日本人集団を対象とした大規模ゲノム研究で報告されている、病気の発症や臨床検査値、食生活習慣など 100以上の形質において個人差に影響を与える遺伝子変異を解析し、適応進化の強さを網羅的に検討しました。その結果、飲酒量や飲酒歴などのアルコール摂取量に加え、腎機能(血清クレアチニン値、eGFR)・肥満および閉経年齢・脂質(HDL-コレステロール)・免疫疾患(関節リウマチ、全身性エリテマトーデス、乾癬)等が、日本人集団の適応進化の主な対象であったことが明らかになりました(図2左) 。
並行して、イギリスのUKバイオバンクにより収集された11万人のヒトゲノム情報を対象に適応進化の解析を行い、600以上の多彩な形質を対象に適応進化の強さを検討しました。その結果、欧米人集団では、パンやシリアルの摂取量、握力・歩く速さ・身長といった身体計測値、背骨の関節炎を生じる疾患(脊椎症・強直性脊椎炎・乾癬)等が適応進化の主な対象と判明しました(図2右)。これは、世界各地の集団が独自の適応進化を遂げてきたことだけでなく、お酒やパンといった食生活習慣が人類の適応進化に深く関わっていることを示す結果と考えられました。
◎本研究成果が社会に与える影響(本研究成果の意義)
本研究成果により、日本人集団において適応進化に関わる遺伝子領域や形質が明らかになり、日本人集団における適応進化の歴史の解明が加速することが期待されます。
今回採用した遺伝統計解析手法ASMCは、各遺伝子領域における適応進化の強さを議論できるものの、その方向性については議論することができません。同定した適応進化に関わる形質が、各集団における生存に有利・不利のどちらに働いていたのかは、既知の一部の形質(例:日本人集団はお酒に弱くなる方向に進化、欧米人集団は背が高くなる方向に進化)を除いて不明のままです。今後、お酒やパンといった食生活習慣が、どのように日本人集団や欧米人集団の適応進化に関わってきたのか、更なる研究による解明が望まれます。また、バイオバンク規模の大規模ヒトゲノム情報を活用することが、一般的な疾患ゲノム研究だけでなく、人類集団の適応進化の解明に貢献することを示した成果と考えられます。今後、多彩な人類集団を対象とした、より大規模なヒトゲノム情報に対して、さらなる適応進化の謎の解明が期待されます。
◎用語説明
※1 バイオバンク・ジャパン
日本人集団27万人を対象とした生体試料バイオバンクで、ゲノム解析が終了した人数は約20万人とアジア最大である。オーダーメイド医療の実現プログラムを通じて実施され、ゲノムDNA や血清サンプルを臨床情報と共に収集し、研究者へのデータ提供や分譲を行っている。
※2 適応進化
生物の性質が、世代を経るごとに周囲の環境に対応して変化していく現象。ゲノム配列上に生じた遺伝的変異が、周囲の環境に適応して生存が有利となった個体を中心に集団内で拡散していくことで、集団内におけるゲノム配列の多様性に変化が生じる。
※3 UKバイオバンク
英国で実施されているバイオバンク機構。中高年のボランティア約50万人を対象に、ゲノム情報や多彩な形質情報を収集し、データの公開や分譲を行っている。
※4 臨床検査値
健康状態や病気の状況を把握する目的で、健康診断や医療現場で実施される医学検査結果の数値。代表的なものとして、採血による血液検査や生化学検査、生理機能検査が挙げられる。
※5 ASMC(the ascertained sequentially Markovian coalescent)
集団由来のゲノム情報を用いて、ゲノム全領域における適応進化の強さを定量化する遺伝統計解析手法の一つ。各ゲノム領域内に含まれる複数の遺伝子変異の共通祖先の系譜を高速に探索することで、数十万人規模のゲノム情報に対する適応進化の解析を可能にしている。
【研究者のコメント】 岡田随象教授
私達人類は、どのような適応進化を遂げてきたのでしょうか? これは誰もが興味を持つ本質的な問いではないかと思います。各国のバイオバンク事業で構築された数十万人規模の現代人のヒトゲノム情報を活用することで、適応進化という「過去の出来事」を間接的に観測することができる時代になりました。今回の研究では、お酒やパンなど、食生活習慣が人類の適応進化と密接に関わっていたことが明らかになりました。何故これらの食生活が大事だったのか、今後明らかにしてきたいと考えています。
◎特記事項
本研究成果は、2020年1月20日(月)21時00分(日本時間)に英国科学誌「Molecular Biology and Evolution」(オンライン)に掲載されました。
【タイトル】''Genome wide natural selection signatures are linked to genetic risk of modern phenotypes in the Japanese population. ''
【著者名】 Yoshiaki Yasumizu 1,#, Saori Sakaue 2-4,#, Takahiro Konuma 2, Ken Suzuki 2, Koichi Matsuda 5, Yoshinori Murakami 6, Michiaki Kubo 7, Pier Francesco Palamara 8, Yoichiro Kamatani 4,9, Yukinori Okada 2,10,11,*
(* 責任著者, # 同等貢献)
【所属】
1 大阪大学医学部医学科
2 大阪大学大学院医学系研究科 遺伝統計学
3 東京大学大学院医学系研究科 アレルギー・リウマチ学
4 理化学研究所生命医科学研究センター 統計解析研究チーム
5 東京大学大学院新領域創成科学研究科メディカル情報生命専攻 クリニカルシークエンス分野
6 東京大学医科学研究所 癌・細胞増殖部門 人癌病因遺伝子分野
7 理化学研究所生命医科学研究センター
8 オックスフォード大学 統計学
9 東京大学大学院新領域創成科学研究科メディカル情報生命専攻 複雑形質ゲノム解析分野
10 大阪大学免疫学フロンティア研究センター 免疫統計学
11 大阪大学先導的学際研究機構 生命医科学融合フロンティア研究部門
本研究は、日本医療研究開発機構(AMED)ゲノム医療実現推進プラットフォーム事業先端ゲノム研究開発「遺伝統計学に基づく日本人集団のゲノム個別化医療の実装」の一環として行われ、大阪大学大学院医学系研究科バイオインフォマティクスイニシアティブの協力を得て行われました。
【リリース発信元】 大学プレスセンター
https://www.u-presscenter.jp/