高校野球100回記念展

パネルやゆかりの品で振り返る「熱闘」の歴史。「土」の代わりに、思い出を持ち帰ろう。

■会  期:8月2日(木)~8月13日(月)
■会  場:新宿髙島屋11階特設会場  入場無料
■入場時間:午前10時~午後7時30分(午後8時閉場)
  ※8月3日(金)・4日(土)・10日(金)・11日(土・祝)は午後8時まで(午後8時30分閉場)
  ※最終日は午後5時30分まで(午後6時閉場)
■主  催:日本高等学校野球連盟、朝日新聞社



新宿髙島屋では、「高校野球100回記念展‐パネルやゆかりの品で振り返る「熱闘」の歴史‐」を開催いたします。大正4年(1915年)、大阪・豊中グラウンドで産声をあげた全国中等学校優勝野球大会は、第10回大会から舞台を阪神甲子園球場に移し、昭和23年(1948年)、第30回大会から全国高等学校野球選手権大会と名称が変わり、2018年夏に第100回記念大会を迎えます。本展は、夏の国民的行事となった高校野球の第1回大会から昨年の99回大会までを振り返り、高校野球をとりまく世相と甲子園を熱くした数々の名勝負を朝日新聞の写真や紙面によりたどるものです。甲子園歴史館や野球殿堂博物館が所蔵する貴重な史料や、活躍した名選手のゆかりの品、強豪校の優勝レプリカなど多彩な史料を展示します。




お問い合わせ先は、新宿髙島屋 03-5361-1111(代表)

■第1章 草創期 (1915~23年 第1回~9回大会 18年の4回は中止)
第1回大会は、参加校10校、5日間で9試合が行われました。第1回・2回大会は豊中グラウンド、第3回~9回は鳴尾球場で開催されました。この章では、記念すべき第1回大会にちなむ史料やゆかりの品々を展示します。

■第2章 甲子園時代始まる (1924~41年 第10回~26回大会 41年の27回は中止)
1924年、約5万人収容、東洋一の大球場「甲子園球場」が完成し、中等野球人気に拍車をかけました。41年、戦争が深刻化した第27回大会は中止となり、以降46年に再開するまで6年間の空白を持つことになります。

■第3章 大会復興 (1946~57年 第28回~39回大会)
戦後初の第28回大会は西宮球場で開催されました。第30回大会で、大会名が「全国高等学校野球選手権大会」に改められ、「栄冠は君に輝く」がこの年、公募により大会歌となりました。この章では、世相を色濃く反映する大会ポスターや新聞野球漫画原画などを展示します。

■第4章 初めての47代表 (1958~73年 第40回~55回大会)
第40回大会の記念大会には、46都道府県代表と米統治下の沖縄から47代表校がそろって参加しました。この時、沖縄代表として首里高校が初出場を果たしました。第47回大会からカラーテレビの放送も始まり、甲子園のスターや名勝負などが増えたのもこの時代です。また、第40回大会から優勝旗が新調されました。

■第5章 金属バット時代 (1974~88年 第56回~70回大会)
第56回大会から金属バットの使用が許可されました。「やまびこ打線」と呼ばれた第64回優勝の池田高校や、第60回の初優勝以来4回大会を制したPL学園高校など、強打を誇るチームが時代を象徴します。この時代は、後にプロ野球でも活躍するたくさんの名選手たちが甲子園球場を沸かせました。

■第6章 平成 (1989~2017年 第71回~99回大会)

平成以降も、記憶に新しい話題のシーンや名勝負が生まれ続けています。松井秀喜選手(星稜高校)の5打席連続敬遠や松坂大輔投手(横浜高校)のノーヒットノーラン達成や横浜高校の春夏連覇、早稲田実業と駒大苫小牧の決勝戦再試合などを、当時の記事・写真パネルで振り返ります。

また、名選手ゆかりの品も展示いたします。


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この企業の情報

組織名
株式会社高島屋
ホームページ
https://www.takashimaya.co.jp/
代表者
村田 善郎
資本金
5,602,512 万円
上場
(旧)東証1部,大証1部
所在地
〒542-8510 大阪府大阪市中央区難波5丁目1-5
連絡先
06-6631-1101

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