ダーウィンは今からちょうど150年前に著書『人間の由来』の中で、言語も生物種と同じように漸進的な変化をしてきたのではないかと論じました。そして、遺伝学の誕生により、ヒトのゲノムを解読することで、ヒトの歴史が明らかになってきました。人類遺伝学者のルイジ・ルーカ・カヴァッリ=スフォルツァは、1980年代に当時利用可能になっていた100程度のヒトゲノム上の座位を調べることで、民族間の遺伝的な系統関係と、言語の分類体系が類似していることを指摘した最初の研究者の1人でした(Cavalli-Sforza et al, 1988, PNAS)。しかし、言語の分類体系は定性的で、多様な文化データを用いて類似性を定量的に検証した研究はこれまでほとんどありませんでした。
カヴァッリ=スフォルツァの研究から30年以上が経った現在、ヒトゲノムが解読され、民族間の遺伝情報が全ゲノムスケールで解析できるようになりました。言語学では、祖先となる語彙を共有する「語族」という分類で言語をまとめ、その語族内の関係は推定できるようになりました。世界には7000以上の言語が知られており、約400の語族に分類されます。例えば英語、ドイツ語、フランス語など、ヨーロッパで話される言語のほとんどは、インド・ヨーロッパ語族という大きな語族に属します。インド・ヨーロッパ語族のような同一語族の語彙に基づいた系統解析[1]が進みましたが、一方で、語彙で遡れる進化的関係性には限界がありました。しかし、特に北東アジアなど東ユーラシアでは、多様な言語族が存在するため、語族を超えた言語の関係は語彙を用いて定量解析ができないという課題がありました。語彙以外の言語の特徴としては、音素[2]は語族に縛られずに解析ができますが、言語接触によって隣り合う言語同士の音は似てくることも知られています。文法は、比較言語学・言語類型論という分野で体系化されてきましたが、データベースが限られていました。今回の論文の共著者であるBalthasar Bickelらは、2017年に文法と音素に着目した統合データベースを発表しました(Bickel et al, 2017)。本研究では、言語解析にこのデータベースを利用しました。
また、カヴァッリ=スフォルツァの研究に刺激を受けた音楽学者のSteven BrownとPatrick E. Savage(慶應義塾大学環境情報学部)らは、ヒトゲノム同様に、音楽(歌)を定量化する方法を構築してきました(Savage et al, Anal. Approaches to World Music 2012)。そしてこれまで北東アジアの歌の特徴(Savage et al, 2015)や、台湾先住民の歌の類似性と語彙、遺伝的類似性について明らかにしてきました(Brown et al, 2014, Proc. R. Soc. B-Biological Sci)。しかし、語族を超えた解析はこれまでできていませんでした。
■研究内容
今回の論文の責任著者である松前ひろみ、太田博樹(東京大学大学院理学系研究科)らはこれまで、東アジア人や縄文人のゲノム解析により、東ユーラシアの古い遺伝的な歴史を明らかにしてきました(McColl et al Science 2018; Gakuhari et al Comm Biol. 2020)。また、近年では、国際的にも東ユーラシアの基層集団として北東アジアに注目が集まっています(Jeong et al, Nat. Ecol. Evol. 2019)。そこで本研究では、北東アジアとその周辺地域にまたがる11の言語族【図1】の関係に焦点を当て、言語、音楽、ゲノムを比較する分析を行いました。
本研究は、日本、スイス、ドイツ、カナダ、英国にまたがる国際的共同研究によって進められ、生物学、言語学、音楽学、統計学の学際的な研究により成果を得ました。なお、本研究成果は、以下の外部資金(抜粋)等によるものです。
・科研費・新学術・共創言語進化 JP18H05080、JP20H05013
・科研費16H06469
・科研費19KK0064
・チューリヒ大学「URPP Evolution in Action」「URPP Language and Space」
・スイス National Center of Competence in Research「Evolving language」
また本研究を行うにあたり、本研究ではこれまで世界的にほとんど存在しなかった、サハリン先住民族のニブフのゲノムデータをSNPアレイを用いて分析しました。このDNAサンプルは、1990年代に速水正憲博士(京都大学ウイルス研究所教授・当時)らが収集し、ヒトT細胞白血病ウイルス(HTLV-1)やヒト白血球抗原(HLA)、mtDNAの分析等に利用したもので(Gurtsevitch V, et al. 1995. Int. J. Cancer; Lou et al, 2008 Tissue Antigens; Tajima et al, 2004, J Hum Genet)、故・宝来聡博士(総合研究大学院大学教授・当時)、田辺秀之博士(総合研究大学院大学准教授)らおよびAsia DNA Repository Consortiumによって維持・管理されているサンプルの提供を受けました。
【掲載論文】
雑誌名:『Science Advances』 (2021年8月18日掲載)
タイトル:Exploring correlations in genetic and cultural variation across language families in Northeast Asia
DOI:https://doi.org/10.1126/sciadv.abd9223
【 筆 者 】
松前ひろみa,b,†,‡,*、Peter Ranacher‡,c,d, *、 Patrick E. Savagee,f,*、 Damián E. Blasig,h,i、 Thomas E. Curriej、 小金渕佳江k、 西田奈央l、 佐藤丈寬m、 田辺秀之n、 田嶋敦m、 Steven Browno、 Mark Stonekingp、 清水健太郎a,b,q、 太田博樹k,r,s,*、 Balthasar Bickelg,q, *
a:Department of Evolutionary Biology and Environmental Studies, University of Zurich
b:横浜市立大学木原生物学研究所
c:Department of Geography, University of Zurich
d:URPP Language and Space, University of Zurich
e:慶應義塾大学環境情報学部
f:東京藝術大学
g:Department of Comparative Language Science, University of Zurich
h:Department of Linguistic and Cultural Evolution, Max Planck Institute for the Science of Human
History
i:Human Relations Area Files
j:Human Behaviour & Cultural Evolution Group, Centre for Ecology & Conservation, Department of
Biosciences, University of Exeter
k:北里大学大学院医療系研究科
l:国立国際医療研究センター
m:金沢大学 医薬保健研究域医学系 革新ゲノム情報学分野
n:総合研究大学院大学 先導科学研究科
o:Department of Psychology, Neuroscience & Behaviour, McMaster University
p:Department of Evolutionary Genetics, Max Planck Institute for Evolutionary Anthropology
q:Center for the Interdisciplinary Study of Language Evolution (ISLE)
r:北里大学医学部
s:東京大学大学院理学系研究科
†:Current Address: 東海大学医学部
‡:These authors contributed equally to this work.
*:Corresponding authors