学習院大学理学部 西坂 崇之教授の研究グループは、独自に開発した顕微鏡を用いて、マウスの気管表面の繊毛たった「1本」の動きを高精度・高速度で撮影することに成功しました。加えて、本年のノーベル物理学賞の対象となった光ピンセットという技術で「繊毛の先端を捕捉」し、人為的な負荷を与えても繊毛が周期的に動き続けることを可視化しました。この研究成果は、2018年10月22日(月) 18:00(日本時間)に英科学雑誌「Scientific Reports」において、原著論文として発表されました。
学習院大学 理学部 西坂崇之教授の研究グループは、哺乳類の気管表面の繊毛が様々なノイズ環境下でも安定して動作するように設計された高度な分子機械であることを顕微計測により初めて明らかにしました。
私たち哺乳類の「気管」は、体に有害な塵や病原菌といった物質に常にさらされています。これらの異物を押し流すために、肺からのどへ向けた粘液層の流れが存在します。この粘液層の流れは気管表面に生えている「繊毛 (せんもう)」と呼ばれる長さ数ミクロンの非常に小さな毛の周期的な運動により生み出されることが知られています。しかし、このような変動の多い環境下で繊毛がどのように安定した動作を達成しているか、その詳細はよくわかっていませんでした。
博士後期課程3年の加藤孝信さんは、西坂研究室で独自に開発した顕微鏡を用いて、繊毛たった「1本」の動きを高精度・高速度で撮影することに成功しました。加えて、本年のノーベル物理学賞の対象となった光ピンセットという技術で「繊毛の先端を捕捉」し、人為的な負荷を与えても繊毛が周期的に動き続けることを可視化しました (図1参照)。
気管繊毛の高精度測定と光ピンセットによる捕捉は世界で初めてのことです。繊毛の動きに異常をきたすと、慢性副鼻腔炎などのさまざまな病態を引き起こすことが知られており、今回の成果は繊毛に関連する疾患の理解につながることが期待されます。
この研究成果は、2018年10月22日(月) 18:00(日本時間)に英科学雑誌「Scientific Reports」において、原著論文として発表されました。
【背景】
気管繊毛のはたらきによって、私たちの肺の中は ''無菌'' に保たれていることが知られています。この繊毛とは、細胞から突き出た長さが1ミリの100分の1ほどの毛のような構造で、無数の繊毛が気管の細胞表面をおおっています (図2参照)。そして、1本1本の繊毛は「自律的に動く」ことができるのです。この動きによって気管表面に粘液層の流れが生み出され、呼吸とともに入り込んできた体に有害な塵や病原菌といった異物を肺からのどへ向けて押し出すことにより、私たちの肺の中が清浄に保たれています。
では、この粘液層の流れはどのように生み出されるのでしょうか。繊毛は、速く高い位置を ''かく'' ことにより粘液を押し出す「有効打」と、ゆっくりと低い位置を曲がりながら元の形状に戻る「回復打」を、1秒間に約10回の周期で繰り返すことにより流れを生み出します (図3参照)。
しかし、粘液という非常に粘りけのある流体の中で、どの程度この自律性を維持しているのか、これまでにその詳細な動きが観察されたことはありませんでした。特に、気管繊毛は密集して生えており、その1本の動きを正確に取得することは実現されてきませんでした。
【研究の成果】
■マウス気管繊毛の動きの高精度・高速度3D計測
繊毛1本の動きを高精度・高速度でとらえるために、学習院大学 西坂研究室に在籍する加藤さんらは、マウスの気管からたった1本の繊毛を取り出して、先端に目印となる「蛍光を発する微小ビーズ (蛍光ビーズ)」を付着させるという手法をとりました (図4参照)。蛍光ビーズは明るく光るため、高い精度で位置を求めることが出来るだけでなく、高速度の撮影をすることが可能になります。
研究グループはこれまでに、蛍光を発する微小な物体の動きを3次元的に、すなわち画面の上下左右だけでなく奥ゆき方向の動きもとらえることが出来る特殊な光学顕微鏡を開発しています (特許取得、図4参照)。今回、この特殊な光学顕微鏡を用いて、気管繊毛の先端に付着した ''蛍光ビーズ'' の動きを、3次元的に高精度かつ高速度で取得することに成功しました。
研究グループは、さらに気管表面のような粘度の高い環境で、繊毛がどのような運動を行うかを調べるために、繊毛のまわりを粘度が高い流体でみたした状態にして、同様の測定を行いました。
繊毛先端の動きの3次元的な観察は初めてのことです。特に、今回の研究によりこれまで測定できなかった、「有効打」と「回復打」の高さ方向の動きに関して正確な値を求めることが出来ました。その結果、繊毛は粘度が高い環境、つまりネバネバしていて動きにくいような場所でも、周期的に動くだけでなく、「有効打」 と「回復打」の高さの差を維持することが解りました (図5参照)。コンピュータを用いた計算により、この高さの差を維持する性質によって、気管表面のような粘度が高い環境下でも流れを生み出すことが出来ることを明らかにしました。
■光ピンセットで繊毛の先端を ''つまむ''
さらに研究グループは、繊毛の一部分のみに負荷をかける、という特殊な環境下での3次元測定も行いました。このときに使用したのが「光ピンセット」という技術です。この技術は今年のノーベル物理学賞の対象となったことでも知られており、集光させた強い赤外線のレーザー光を用いて溶液中にある微粒子を捕捉する技術です (図6参照)。今回、繊毛先端に付着させた蛍光ビーズに400 mWの赤外レーザー光を照射することにより、50 pN程度の負荷をかけることを実現しました。光の強さは局所的に太陽光の100兆倍に達し、発生する力は動いている繊毛が溶液を押し出す力の数十倍の強さで、繊毛が動ける範囲を10分の1程度まで制限することができました。つまり、繊毛の先端を優しく ''つまむ'' ことに成功したと言えます。これまで、光ピンセットはタンパク質1個から数個に対して用いられてきたものであり、数十万個以上のタンパク質から構成される気管繊毛を捕捉したのは初めてのことです。
興味深いことに、繊毛先端の動きを強く制限すると繊毛は上下に動くようになりました。しかしこの場合でも繊毛はほぼ同じ周期で動き続ける性質をもっていることがわかりました (図6参照)。どのような実験条件でも、捕捉中の上下運動は、捕捉前の1~1.3倍はやい周期でした。
繊毛が上下運動をするようになった理由はよくわかりません。しかし、繊毛は動きを制限すると周期的な運動が出来なくなると考えられていたので、これは新しい知見です。気管表面のような高粘度の環境でも、この繊毛がもつ周期を維持するロバスト設計によって運動を維持できると考えられます。
【今後の展望】
■繊毛に関連する疾患の原因の理解
私たちの体の中にはさまざまな部位に繊毛が存在し、繊毛が生み出す流れは種々の機能を担っていることが知られています。そして、気管繊毛をはじめとするこれら繊毛の機能不全は、さまざまな病態を引き起こします。とくに、繊毛の遺伝子異常から引き起こされる病態を総称して繊毛病と呼びます。しかし現在、繊毛がどのように自律的な動きをしているのか、その詳細な機構はよくわかっていません。今回の研究は、繊毛運動を「動き」と「力」の双方から詳細に分析したもので、運動機構のしくみに迫るものです。今回えられた知見が、繊毛病をはじめとした繊毛関連疾患の根本的原因の理解へつながることが期待されます。
■異なる種類の繊毛や他の細胞小器官への応用
今回開発された顕微鏡は、気管の繊毛以外の繊毛に対しても適用することが出来ます。とくに、 気管の繊毛に近い構造をもった繊毛は、脳や、鼻の粘膜、卵巣と子宮をむすぶ輸卵管などに生えています。いずれの繊毛も水頭症や不妊症といった病気と関係しています。さらに、今回開発された顕微鏡は繊毛1本を ''つまむ'' ことを実現しました。この技術を用いれば、動いている繊毛を止めたり、動かない繊毛を人為的に動かすといったことが可能となります。これら繊毛の力学的特性の測定や刺激を与えた時の応答は医学的な面からも重要です。
さらに、今回開発された顕微鏡は、繊毛以外の細胞の器官・構造に対しても適応できます。例えば、細胞が分裂するときにはどれくらいの力を発生するのでしょうか? 私たちは開発した顕微鏡を用いて、さまざま研究室と共同研究を行うことにより、まだ解明されていない生物学的な問題にチャレンジしていきたいと思っております。
【論文情報】
著者名: Takanobu A Katoh, Koji Ikegami, Nariya Uchida, Toshihito Iwase, Daisuke Nakane, Tomoko Masaike, Mitsutoshi Setou, Takayuki Nishizaka
論文名: Three-dimensional tracking of microbeads attached to the tip of single isolated tracheal cilia beating under external load
雑誌名: Scientific Reports
【お詫びと訂正】 本文【研究の成果】の項目「光ピンセットで繊毛の先端を ''つまむ''」のうち、第2段落中の図版参照の記載に誤りがありました。正しくは「図6参照」です。ここにお詫びして訂正いたします。(2018/10/24 10:20)
▼本件に関する問い合わせ先
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TEL:03-5992-1008
FAX:03-5992-9246
メール:koho-off@gakushuin.ac.jp
【リリース発信元】 大学プレスセンター
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