「写真家 沢田教一展 -その視線の先に」京都高島屋で開催。ピュリッツァー賞カメラマンが戦場で見つめた悲しみと希望。写真、遺品、愛用品など約180点を展観。

株式会社高島屋

京都高島屋で、2018年3月14日(水)から、写真家、沢田教一(さわだ・きょういち)の回顧展を開催します。(3月25日まで)
 
1965年からベトナム戦争で米軍に同行取材し、最前線で激しい戦闘や兵士の表情などを数多く写真におさめた写真家、沢田教一。輝かしい実績を残し、「安全への逃避」でピュリッツァー賞を獲得しています。

沢田の写真に通底するのは、優しい眼差し。疲れ果てた名もなき兵士はうずくまり、家を追われた罪なき市民は荷物を抱え、故郷・青森の貧しい漁民には寒風が吹きすさぶ・・・、しかし皆、かすかな希望を頼りに強く懸命に日々を生きていました。その「希望」こそ、沢田が追い続けた被写体だったのではないでしょうか。
 
「戦争専門のカメラマンとは呼ばれたくない」と思っていた沢田。本展では、写真約150点に、カメラ、ヘルメットなどの遺品、愛用品など約30点をあわせた約180点を展観。戦場での写真のみならず、東南アジアの街角や、青年期まで過ごした青森で写した作品などを通して、34歳で殉職した沢田の眼差しを追いながら、その業績をたどります。


■会場構成
○第1章:愛する人、愛した故郷
三沢基地の写真店で、のちに妻となるサタと出会った沢田。ふるさと青森の原風景をカメラにおさめながら腕をみがき、東京へ、世界へ、思いを広げていきます。サタをモデルに青森で撮影した写真や青森の漁村で撮影した写真等に、直筆原稿などの遺品をあわせた計約40点を展観します。
 
○第2章:ベトナム 悲しき戦場へ
「どこの戦場にも必ず沢田がいる」。ジャーナリスト仲間が感嘆するほど、常に沢田は最前線でシャッターを切りました。米軍ヘリ機内から写した写真など米軍に同行取材し最前線で撮影した作品を中心に約25点を展観します。
 
○第3章:疲弊する兵士、傷つく市民
激しい戦闘のさなかでも、沢田の眼は被写体に寄り添っていました、疲れ果てた兵士や嘆き悲しむ市民の心の声を切り取ることが、戦争を報じることの核心だったのです。ピュリッツァー賞を獲得した「安全への逃避」をはじめ戦場で撮影された写真に、ピュリッツァー賞の賞状、愛用のカメラやヘルメットなどの遺品をあわせた計約60点を展観します。また、「安全への逃避」の被写体となった当時2歳の女性への貴重なインタビュー映像も放映します。
 
○第4章:その視線の先に
「平和になったらベトナムをゆっくり撮影旅行したい。」そう願っていた沢田は、行く先々で懸命に生きる市民や子ども達の笑顔を写しました。戦場カメラマンと呼ばれるのを嫌がった「写真家・沢田教一」の眼差しの先にあったものは。ベトナムやカンボジア等で撮影した子ども達の写真など約40点を展観します。
 
○エピローグ: 21世紀、サイゴン
夫の死後、サタはたびたびベトナムを訪れています。沢田が現役だったころは自身は手放していたカメラを再び首から下げて。サタが撮影した写真など約10点を展観します。サタのインタビュー映像も放映。2016年に再訪を果たしたベトナム、そして夫への思いとは――。


 
■展観作品の一例


サイゴンの子供たち(1970年2月)


青森の集落で(1950年代後半)


ベトナム・フエでの市街戦(1968年2月)


砲弾の音が響くフエで(1968年2月)


子供たちの無邪気な笑顔(撮影年月不明)


■沢田教一 略歴
1936年2月22日青森県青森市生まれ。19歳で写真店に勤めたのを機に写真家・小島一郎に師事。米軍三沢基地の支店勤務時代に、のちに妻となる田沢サタ(1925年~)と出会う。1956年、サタと結婚、結婚生活では、サタをモデルに青森県内で撮影旅行を繰り返し、腕を磨く。1961年にサタとともに上京、米UPI通信社東京支局にカメラマンとして就職。
 
1965年2月、1ヵ月の休暇をとり自費でベトナムへ。地方新聞社で組織する「火曜会」特派員として記事を配信する。3月、アメリカが北ベトナムへの爆撃を開始、ベトナム戦争が全土に拡大する。UPIは沢田の個人的な取材活動を追認し、滞在が1ヵ月延長される。

7月、UPIサイゴン支局へカメラマンとして正式に赴任。9月6日、ロクチュアン村で川を泳いで逃げる二組の家族の写真を撮影。「安全への逃避」とタイトルされて世界中に配信される。12月、「安全への逃避」で第9回世界報道写真展大賞および報道部門1位を獲得。
 
1966年、ボンソンで「敵を連れて」、タンビンで「泥まみれの死」を撮影。5月、「安全への逃避」を含む28点の一連の写真で、ピュリッツアー賞(報道写真部門)を受賞。1968年、フエの攻防戦を取材、9月UPI香港支局写真部長へ転出、ベトナムを去る。
 
1970年1月再びサイゴン支局に赴任。10月28日、取材先のカンボジア・プノンペンの南約34km、ネアクルンの国道2号線で銃撃を受け死亡、享年34歳。主な受賞歴にピュリッツァー賞、世界報道写真コンテスト2年連続大賞、USカメラ賞、ロバート・キャパ賞(没後受賞)など。


【開催概要】
「写真家 沢田教一展 -その視線の先に」
■会  期:2018年3月14日(水)~3月25日(日)
■会  場:京都高島屋7階グランドホール(京都市下京区)
■入場時間:午前10時~午後7時30分(午後8時閉場)
      ※最終日は午後4時30分まで(午後5時閉場)
■入場料(税込):一般800円、大学・高校生600円、中学生以下無料
         ※午後6時以降の入場は半額

主催:朝日新聞社
企画協力:沢田サタ、斉藤光政
協力:山川出版社
 
【京都高島屋公式サイト】
http://www.takashimaya.co.jp/kyoto/

【お問い合わせ】
京都高島屋
京都市下京区四条通河原町西入真町52
TEL:(075)221-8811(代)

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