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【概 要】
日本大学文理学部物理学科の山本大輔准教授、同自然科学研究所のGiacomo Marmorini研究員、および早稲田大学理工学術院の福原武教授(理化学研究所量子コンピュータ研究センターチームディレクター)からなる研究グループは、多数の量子ビットからなる量子多体系の状態を、個々の量子ビットを一つ一つ制御することなく解析できる新しい量子状態トモグラフィ手法を開発しました。従来の量子状態解析では、系が大きくなるほど測定や制御が複雑化するという課題がありました。
研究グループは、磁性体に現れるスピンの螺旋構造に着想を得て、「螺旋測定」と呼ばれる新しい測定方式を提案しました(図1)。この方法では、量子ビット全体に一様な操作を施すだけで螺旋状に変化する測定軸が得られ、個別の量子ビット制御を必要としません。さらに、「圧縮センシング」技術と組み合わせることで、少ない測定回数でも高精度な量子状態の推定が可能であることを示しました。
本手法により、量子情報処理の核心である量子のもつれを、大規模な量子系に対して現実的な条件下で評価できる道が開かれました。光格子中の冷却原子系など、個々の粒子を独立に操作することが技術的に難しい量子シミュレータにおいて特に有効であり、量子技術を「より大きく、より複雑な系」へと拡張するための基盤技術として、今後の大規模量子シミュレーションや量子物性研究への応用が期待されます。本成果は2026年3月18日にアメリカ物理学会の発行する国際学術誌“PRX Quantum”に掲載されました。
図1.螺旋測定による量子もつれ評価のイメージ図
【要 点】
・量子ビットを一つずつ操作しない、新しい量子状態解析法を開発
・少ない測定から全体の量子状態を推定する効率的手法を実証
・大規模量子システムで量子のもつれを評価する新しい道を提示
【背 景】
物体の「状態」を測定するとはどういうことでしょうか。例えば、走る車の状態を知るには、速度を測るのが一つの方法です。車は静止しているのか、時速60キロで走っているのか、それとも時速120キロか。また、車が現在どこを走っているのか、つまり位置もまた重要です。このように、物体の「状態」は、位置、速度、エネルギー、電気抵抗などの物理量の組み合わせと言い換えることができます。我々はこれらの物理量を、目や耳、触覚などを通じて知覚することもあれば、スピードメーターや電流計といった装置を使って測ることもできます。そして物理学では、測定を通じて得た情報を様々な方程式に入力することで、その物体の未来の動きや変化、あるいは過去の様子を推測します。
しかし、近年、量子コンピュータの開発競争などで注目を集めている量子力学※1の世界では、こうした「状態=物理量の組み合わせ」という考え方は通用しません。量子力学では、物体の「状態」とは直接測定できる物理量そのものではなく、波動関数※2と呼ばれる数学的な関数で表現される、より抽象的な概念となります。位置や速度といった物理量を測定したときの結果は確率的にしか決まらず、どの値がどの確率で現れるかを“裏”で決めているのが波動関数です。
では、測定するたびに確率的に揺らいでしまう物理量の結果だけから、量子力学における物体の「状態」、すなわち波動関数をどのように知ればよいのでしょうか。この問いに答えるための方法が、「量子状態トモグラフィ※3」と呼ばれる手法です。
【研究の経緯】
この手法がどのようなものかをイメージするために、例えば形が歪んだサイコロを考えてみましょう。1から6までのどの目が出るかの確率は、サイコロの歪み具合によって決まっているはずです。しかし、実際に数回サイコロを転がしてみただけでは、それぞれの出目の出現確率を正確に知ることはできません。歪んだサイコロの性質を知るためには、何千回、何万回とサイコロを転がし、その出た目の割合を統計的に調べる必要があります。量子力学において物体の「状態」を知る場合も、基本的な
考え方はこの歪んだサイコロと同じです。量子状態そのものを直接観測することはできないため、さまざまな物理量を繰り返し測定し、その測定結果の統計から、
“裏”にある波動関数を推定していきます。このような作業が、量子状態トモグラフィと呼ばれる手法です。
ただし、サイコロの場合は6つの出目の出現頻度を記録すれば十分ですが、量子系では事情が大きく異なります。量子系には、量子重ね合わせ※4や量子もつれ※5といった特有の性質があり、測定すべき情報の数は、扱う量子ビット※6の数の増加とともに指数関数的※7に膨れ上がります。さらに、多くの従来手法では、量子ビットを一つ一つ個別に操作し、異なる測定設定を用意する必要があり、量子ビット数が増えるほど実験的な制御や測定の難易度が急激に高まるという問題もありました。特に物性物理や量子化学のシミュレーションなど、多数の量子ビットからなる系の状態を詳しく知ろうとすると、こうした測定コストや制御の複雑さが大きな障壁となります。したがって、膨大な測定や精密な個別操作に頼らずに量子状態を効率よく推定する新しい方法を確立することが、量子技術の実用化と将来の科学技術の発展に向けた重要な課題となっていました。
【研究成果】
本研究では、量子状態解析における「測定数の爆発的増加」や「量子ビットの個別操作の困難さ」という課題に対し、量子系全体をまとめて扱う新しい測定手法を開発しました。研究グループは、磁性体に現れるスピンの螺旋構造※8に着想を得て、測定軸が空間的に螺旋状に変化する「螺旋測定」という新しい測定方式を考案しました(図2)。この方法では、量子ビット全体に一様な操作を施すとともに、磁場勾配を用いて位置ごとに測定軸が少しずつ回転する操作を組み合わせることで、個々の量子ビットを一つ一つ制御することなく、量子状態に関する多くの情報を同時に取得できます。これにより、従来必要とされてきた複雑な個別制御を行わずに、多様な測定設定を実現することが可能になります。
さらに本研究では、この螺旋測定を、限られた測定結果から全体の状態を推定する手法である圧縮センシング※9と組み合わせました。その結果、測定回数を大幅に削減しつつ、量子状態および量子もつれの強度を高精度に評価できることを数値シミュレーションにより確認しました。
図2.螺旋測定による量子状態トモグラフィに用いる3 種類の螺旋構造
【本研究の意義および今後の展開】
本研究の意義は、量子状態解析において長年の課題であった測定回数の多さと量子ビットの個別操作の困難さを、測定の発想そのものを変えることで同時に緩和した点にあります。量子ビットを一つ一つ測定・制御する代わりに、螺旋状に変化する測定軸を用いて量子系全体を捉えることで、量子のもつれという直接見ることのできない量子情報を、「全体の構造」として読み取れることを具体的な手法として示しました。これは、量子状態をどのように理解し、検証するかという点に新しい視点を与えるものです。
特に、光格子中の冷却原子系のように、レーザーによって原子を規則正しく配置することで物質中の量子現象を高い自由度で再現できる一方、原子一つ一つを独立に測定・操作することが難しい量子シミュレータにおいて、本手法は大きな有効性を持ちます。光格子は、量子磁性や超伝導、量子相転移といった現象を人工的に再現するための重要な実験基盤であり、その内部で生成される量子状態や量子のもつれを適切に評価できることは、量子シミュレーション研究の信頼性を支える鍵となります。
今後は、本研究で提案した螺旋測定の考え方を実際の実験系へと展開するとともに、より大規模で複雑な量子系や時間発展を含む動的過程の解析へと応用していくことが期待されます。こうした発展を通じて、本手法は、量子技術を「作る」段階から「理解し、検証する」段階へと進める基盤技術として、新しい物質の設計や、ブラックホールや初期宇宙の物理を卓上実験で再現するためのシミュレーション研究などへの応用も期待されます。
【用語解説】
※1 量子力学:
原子や電子など、非常に小さなスケールの世界の振る舞いを記述する物理学の理論。日常の直感とは異なり、測定結果が確率的にしか定まらないことや、粒子が波の性質を持つことなどが特徴です。近年では、量子力学の原理を積極的に利用する量子コンピュータや量子シミュレータの研究が急速に進展し、基礎科学だけでなく次世代の情報技術を支える理論としても注目されています。
※2 波動関数:
量子力学において物体の「状態」を表す数学的な関数。直接測定することはできませんが、位置や速度などの物理量がどの確率で測定されるかを決定する役割を持ちます。より一般には、環境との相互作用や不確かさを含む状態を表すために、波動関数を拡張した「密度行列」という表現が用いられます。
※3 量子状態トモグラフィ:
繰り返し行った測定結果の統計から、量子系の状態(波動関数や密度行列)を推定する手法。量子状態を「直接見る」ことができないため、その全体像を再構成するために用いられます。
※4量子重ね合わせ:
量子系が、複数の状態を同時にとっているかのように振る舞う性質。位置や速度などの物理量を測定したときの結果は確率的に定まり、測定ごとに異なる値が得られる可能性があることを特徴とします。
※5 量子もつれ:
複数の量子が強く相関し、一方を測定すると、たとえ離れた場所にあっても他方の状態が瞬時に決まるような量子特有の性質。量子情報処理の基盤となる重要な現象です。
※6 量子ビット:
量子コンピュータで情報を担う最小単位。通常のパソコンで扱うビットが0または1のいずれかであるのに対し、量子ビットは0と1の重ね合わせ状態を取ることができます。実際には、超伝導回路、冷却した原子やイオン、電子スピン、光子の偏光など、さまざまな物理系が量子ビットとして利用されています。
※7 指数関数的:
数が増えるにつれて、非常に速いペースで増加すること。例えば、折り紙を何度も半分に折るたびに厚みが急激に増えていくような増え方を指します。
※8 スピンの螺旋構造:
磁性体などで見られる、スピン(量子の持つ磁石の向き)が空間的に少しずつ回転しながら配列した構造。
※9 圧縮センシング:
すべての情報を測定しなくても、限られた測定結果から全体の状態を推定できる手法。少ないデータから本質的な情報を効率よく取り出せる点が特徴です。
【論文掲載】
論文タイトル:Measuring Entanglement Without Local Addressing in Quantum Many-Body Simulators via Spiral Quantum State Tomography
掲載誌:PRX Quantum
著 者:Giacomo Marmorini(日本大学)、福原武(早稲田大学、理化学研究所)、 山本大輔(日本大学)
DOI:
https://doi.org/10.1103/1xzz-njyy
【共同研究機関および助成】
本研究は、科学技術振興機構(JST) 戦略的創造研究推進事業 さきがけ(物質と情報の量子協奏)「物質・情報・時空を統合する量子シミュレーション基盤の創出(研究代表者:山本 大輔)」(JPMJPR245D)、同事業 さきがけ(革新的な量子情報処理技術基盤の創出)「人工量子系における量子状態同定および量子もつれの定量化法の開発(研究代表者:山本 大輔)」(JPMJPR2118)、同事業 ERATO「沙川情報エネルギー変換プロジェクト(研究代表者:沙川 貴大)」(JPMJER2302)、同 ムーンショット型研究開発事業「大規模・高コヒーレンスな動的原子アレー型・誤り耐性量子コンピュータ(研究代表者:大森 賢治)」(JPMJMS2269)、日本学術振興会(JSPS) 科学研究費助成事業 学術変革領域研究(A) 計画研究「人工量子物質による量子ブラックホールの解明(研究代表者:手塚 真樹)」(JP21H05185)、同事業 基盤研究(B)「冷却原子実験を用いた空間異方性を持つ三角格子反強磁性モデルの研究(研究代表者:福原 武)」(JP23K25830)、同事業 基盤研究(B)「トポロジカル磁性体における電気磁気効果に起因する磁気光学応答(研究代表者:古川 信夫)」(JP23K22442)および同事業 基盤研究(C)「ホログラフィック双対性から導かれる新奇量子物性現象の開拓(研究代表者:山本 大輔)」(JP24K06890)の支援を受けて行われました。
【研究に関する問合せ先】
山本 大輔(やまもと だいすけ)
日本大学文理学部物理学科 准教授
E-mail:yamamoto.daisuke21@nihon-u.ac.jp
【報道に関する問合せ先】
日本大学 文理学部 庶務課
〒156-8550 東京都世田谷区桜上水3-25-40
TEL: 03-5317-9677
E-mail:chs.shomu@nihon-u.ac.jp
早稲田大学 広報室
〒169-8050 東京都新宿区戸塚町1-104
TEL:03-3203-5454
E-mail:koho@list.waseda.jp
理化学研究所 広報部 報道担当
〒351-0198 埼玉県和光市広沢2-1
TEL: 050-3495-0247
E-mail:ex-press@ml.riken.jp
科学技術振興機構 広報課
〒102-8666 東京都千代田区四番町5番地3
TEL: 03-5214-8404
E-mail:jstkoho@jst.go.jp
【JST事業に関する問合せ先】
科学技術振興機構 戦略研究推進部グリーンイノベーショングループ
安藤 裕輔(あんどう ゆうすけ)
〒102-0076 東京都千代田区五番町7 K's五番町
TEL: 03-3512-3526
E-mail:presto@jst.go.jp
【リリース発信元】 大学プレスセンター
https://www.u-presscenter.jp/