弘前大学が清水森西遺跡の発掘調査を実施 -- 水稲農耕定着の過程が判明



弘前大学(青森県弘前市)人文社会科学部北日本考古学研究センターはこのたび、弘前市十面沢の清水森西遺跡(弥生時代中期初頭)で発掘調査を行い、その成果を発表した。これまでの調査により、同遺跡では津軽地域で珍しい弥生時代中期初頭の五所式集落が確認されていたが、今回の調査でその全容が判明。土偶などの遺物のほか、炭化したイネが出土したことから、当時の人々が安定して水稲栽培していた可能性が高いことも分かった。こうした結果により、同市砂沢遺跡(弥生時代前期)から田舎館村の垂柳遺跡(弥生時代中期中葉)との間の、水稲農耕の定着過程の時間的空白が解明につながることが期待される。




 清水森西遺跡では、これまでの調査で竪穴住居跡5軒と墓址3基、そして掘り込みが深い特異な大型竪穴建物跡1軒が発見されており、津軽地域では数少ない弥生時代中期初頭五所式の集落の存在が確認されている。
 昨年度の調査では大型竪穴建物の実態が不明だったため、今年度は大型竪穴建物跡の調査が中心的に行われた。

 調査の結果、大型竪穴建物跡からは土器や石器、玉や石鏃など多くの遺物が見つかり、中央に大きな石囲炉を伴う焼失住居跡であることが明らかとなった。また土壌をふるいがけしたところ、100粒以上の炭化米が見つかり、比較的安定したイネ栽培が行われていたことが分かった。
 さらに、西の弥生土器の影響を受けた土器や、北海道産の石材で製作された石斧も見つかり、南北双方との交流が盛んだったことも判明した。

 清水森西遺跡は、弥生時代の年代の物差しでみると、津軽地域では砂沢式(前期)と垂柳遺跡に代表される田舎館式(中期中葉)の間の五所式に位置づけられる。
 砂沢式と田舎館式は弥生時代水稲農耕文化の北限の地として知られているが、縄文時代から続く岩木山麓の立地を生かした砂沢遺跡と、津軽平野の中心部で500枚以上の水田が見つかり大規模な水田経営を行っていた垂柳遺跡との間には極端な変化が見られる。水田北限の地でどのような過程で水田が大規模化したのか、およびその理由については、五所式の集落の実態が不明であるためなかなか解明できなかった。
 今回の調査により、不明だった集落の実態が明らかになるだけでなく、前期から中期中葉への水稲農耕の定着過程の時間的空白を埋めることにつながると考えられる。

 今年度で清水森西遺跡の現地での発掘調査は終了する。今後は遺構や遺物の整理や学術資料化を経て、学会発表や展示に活用される予定。

(参考:弘前大学公式サイト内)
・弘前市清水森西遺跡発掘調査の現地説明会を実施しました
 https://www.hirosaki-u.ac.jp/topics/88599/

・弘前大学人文社会科学部 北日本考古学研究センターHP
 https://human.hirosaki-u.ac.jp/kitanihon/


▼本件に関する問い合わせ先
弘前大学人文社会科学部人文社会科学部
上條 信彦教授
住所:青森県弘前市文京町1番地
TEL:0172-39-3194


【リリース発信元】 大学プレスセンター https://www.u-presscenter.jp/

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