2011年3月11日、東日本を襲った国内観測史上最大とも云われる地震、続く津波、そして福島第一原子力発電所事故、未曽有の複合型災害は東日本全域に大きな被害をもたらしました。
誰もが経験したことのない災害、収束の予測や復興の目途もたたない中で、空白となった被災地の精神科医療を立て直すことから始まった世界の医療団の支援活動は、7年目を迎えています。復興が進む傍ら避難指示解除をはじめとする住民を取り巻く環境の変化はめまぐるしく、置き去りにされる住民、複雑化する社会的課題と人々のこころ、それらは今後も続くと予想されます。
自死が減らない、その数値が示しているのは、出口の見えない回復への闘いが、住民、そして支援者の方々の中で続いているためであり、被災地では7年経った現在でもこころのケアが必要とされています。医療者や医療機関だけでは、この状況を打破することはできません。福島の人々の生きづらさと苦しさに立ち向かうこころのケアを続けていくために今、必要とされるのは、行政主導によるこころのケアを提供する枠組み作り、それは医療者や医療機関だけではなく幅広い分野からの機関が協働し、必要とする人々がサービスをストレスなく享受できるシステムです。
それら枠組みを創り、そのシステムが機能するために住民自身と地元支援者の回復力(レジリエンス)を信じ、ともにそれらを創る、今も現地で活動を続ける私たちだからこそ発信できるメッセージだと考えました。
住民のニーズを知ること、声を聞くこと、つながりを作ること、一人ひとりの選択と時間を尊重することを軸にしたこころのケアが、今、福島の人々の強い回復力と行政の支えによって新しい地域社会の創造につながるよう、3つの提言をここに発信します。
1. ふくしま心のケアセンター及び連携してその機能を担う機関の常設化が望まれる
ふくしま心のケアセンターとその委託を受けて発足した相馬広域こころのケアセンターなごみは、多職種の医療人材(看護師、臨床心理士、保健師)らが市町村や関係団体と連携しながら、被災者からの相談や個別訪問事業などのこころのケアを実施している。平成25年度から平成28年度にかけ、被災者からの相談件数は22,000件を超えており、いまだ相談は減る傾向を見せていない。¹ 避難指示区域であった自治体の帰還が始まるなど復興のプロセスが進行し、被災者の居住地が流動的になっていること、それぞれに復興格差が生まれていることから、福島における今後のこころのケア活動はよりきめ細かく、切れ目ない支援が求められる。
また、被災者を直接支援する支援者(地方公共団体職員、警察、医療福祉機関職員等)のストレスや疲労の蓄積が顕著であり、支援者支援の件数も平成25年度から平成28年度にかけて3,000件を超え、その数は増え続けている。² こうした状況を踏まえ、地震、津波に加え、原発事故という日本では経験したことのない複合災害に起因するこころのケアに5年、10年といった時限を設けず、当該機関の常設化、恒久化を強く求める。
2.PTSD(心的外傷後ストレス障がい)や自死を防ぐ地域の仕組みの構築が急がれる
福島県では震災後6年半を経ても震災関連死や自死が続いており、また遅発性PTSD³の発症の増加が確認されている。⁴ 被災後、被災者は度重なる大きな環境の変化を余儀なくされ、また失われた家族関係、健康、生業(仕事)、学ぶ環境、生活インフラ、地域コミュニティの回復と復興、それらが容易でない環境にあった。さらに原発事故による賠償問題が加わり、そのストレスも複雑かつ非常に個別的であり、新たに避難指示解除というフェーズが被災者のこころに影響を与えていることも疑いようがない。こういった被災者の複合的なPTSDや自死の要因を解消していくには、医療者の力だけでは不十分であり、法律家やソーシャルワーカー等を加えた多職種連携によるワンストップサービスの構築が望まれる。福島における被災者の総合相談窓口は、個々の事情に沿って適切に関係機関へ繋ぐ役割を果たす。この仕組みを機能するためには、相談やアウトリーチ活動によって培う被災者の見えづらい悩み、苦しみの可視化が必要であり、その任務を担う地域資源であるふくしま心のケアセンターや相馬広域こころのケアセンターなごみのような継続的な活動が大前提である。
3.住民の回復力(レジリエンス)を信じた地域再生のため、前向きな取組みの発信を図ることが望まれる
平成29年3月から4月にかけて、富岡町、浪江町、飯舘村の避難指示が解除された。平成28年7月には南相馬市小高区、平成27年9月には楢葉町、平成26年4月には田村市の一部で初めて避難指示が解除された。浪江町の震災前人口は21,000人、平成29年8月現在の帰還住民は約400人、町の再生実行には難しい状況にあるものの医療施設の整備、また商業施設や雇用創出のための工場誘致などを図りながら、生活や経済の再生に懸命に取り組んでいる。南相馬市小高区では、住民の意思や行政区との連携を大切にしながら、未知の状況下での実践と探究によって小高区を復興していく小高復興デザインセンターの活動が始まっている。また、帰還住民の新たなコミュニティ構築を目指し、一人ひとりができることを持ち寄って小高の未来を考え、行動するきっかけ作りを行なう場所の提供など、地道な活動も続いている。
川内村では、帰還住民がいきいきと健康に暮せる村つくり、認知症になっても安心して暮せる村つくりを、村役場と住民がともに考え実践している。平成29年5月現在、川内村住民の帰還率は80%を超えている。⁵
また、原発から20km圏内(南相馬市)に自宅があり、一度は近県の親戚宅に避難したもののいち早く相馬市に戻り、仮設住宅などで住民のこころのケアや健康運動を担った作業療法士の女性、浪江町の保健師として自らも被災しながら、住んでいた南相馬市を拠点として活動し、地域の精神医療回復のリーダーとして活躍する女性など、必要とされることに意義を感じ、こころのケア活動に取り組み続けている地元の人たちが多くいる。
真の復興支援とは、震災前にはなかった防波堤や建物を作ることに終わらない。住民がどのような状況でも安心して暮らせるまち作りを後押しすることにある。その街の住民が自らの手で暮らしを整え、仕事を創出し、コミュニティ機能の強化に取り組む回復過程を支えること、それらが被災地と被災者の復興支援につながり、被災者のこころの回復にも大きく寄与するであろう。帰還が進む中、避難指示解除地域の復興はまさに今、始まろうとしている。このような地元資源主導による前向きな取組みや頑張りを、復興行政を担う機関から積極的に発信することで、被災地復興への後押しを行うべきと考える。
¹ ふくしま心のケアセンター資料(平成29年9月14日)
² 同上
³ PTSDのうち、少なくとも6カ月以上経過して症状が出現してくるもの
⁴ メンタルクリニックなごみ「2016年精神科診療データ」
⁵ ふくしま復興ステーション「7.川内村の状況」、URL:http://www.pref.fukushima.lg.jp/site/portal/26-8.html
「・・・被災地では「自分の3・11」や「あなたの3・11」を語る場面はとても少ない。人口のぶんだけ「私の3・11」があるのだが、それは心のなかに封印されている。手間暇がかかっても何年かかっても、私たちは「一人一人の3・11」を聞かなければならないのだと思う。被災地の人は、すべての「自分の3・11」を語る権利があり、そして悲しむ権利がある。 ・・・向こう何十年にわたって、震災を語ることが求められるだろう。そのためには「それを聞く人」を育てなくてはならない。」
メンタルクリニック「なごみ」院長の蟻塚亮二氏と副院長の須藤康宏氏による共著「3・11と心の災害」より抜粋