「福島から言葉を紡ぐ」
2020年3月、世界の医療団の東日本大震災支援プロジェクトは9年の活動を終えました。
地域の協働パートナー「なごみ」の存在と住民の方の支えがあったからこその時間と活動の中で生まれた言葉たち。
ある人の願いだったり、想いだったり、気持ちだったりが言葉になった。
私たちに、パートナーに、福島の人々に、誰かに、未来に、ここから何かが伝わればそれでいい。
私たちの活動に携わった、応援してくださったすべてのみなさまへ。
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2011年発災直後から岩手県大槌町にてこころのケア活動を行った日々から、活動の場は福島へ。
精神科医療サービスが空白になっていた福島で発足した特定非営利活動法人相双に新しい精神科医療保健福祉システムをつくる会「なごみ」とともに、こころのケア活動に取り組んできた。
世界の誰もが経験したことのない未曽有の災害は、目に見える数字や景色だけでは語ることができない多くのものを被災地に残していった。コミュニティで、社会で、家族で、個人で、支援活動で、一人ひとりで違うこころにあるもの。
被災地でない場所から足を運ぶ。何ができるか、何が必要か、「なごみ」や精神保健福祉関係者、住民とともに対話し考えてやってみた。その間、ここに関わる人たちが福島の人々と過ごす時間にどれだけ癒されてきたことだろう。
結局のところ、「聞くこと」が必要とされていて、また私たちも「聞くこと」を必要としていたように思う。
地震、津波、原子力事故、複合型災害から9年の時が経った2020年3月、世界の医療団の東日本大震災支援プロジェクト「福島そうそうプロジェクト」「川内村こころケアのプロジェクト」は活動を終えました。
9年、この活動で生まれた、ささやかれた言葉たちを紡ぐ、これからも誰かの記憶に残るように。
「福島から言葉を紡ぐ」ダウンロードはこちらから:
https://www.mdm.or.jp/mdm/cont/uploads/2020/11/fukushima_201104single_1106.pdf
*この冊子は、特定非営利活動法人ジャパン・プラットフォームの「共に生きる」ファンドの助成を受けて作成しました。
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聞く・聴く
しかし被災地では「自分の3・11」や「あなたの3.11」を語る場面はとても少ない。人口のぶんだけ「私の3・11」があるのだが、それは心の中に封印されている。
手間暇がかかっても何年かかっても、私たちは「一人一人の3・11」を聞かなければいけないのだと思う。被災地の人たちは、すべて「自分の3・11」を語る権利があり、そして悲しむ権利がある。
沖縄戦から70年経っても、戦争体験高齢者の記憶は火のように熱く、今も彼らは花火や雷の音におびえ、そして眠れないで苦しんでいる。それを思えば福島の被災地でも、向こう何十年にもわたって、震災を語ることが求められるだろう。そのためには「それを聞く人」
を育てなくてはならない。
「3・11と心の災害 福島にみるストレス症候群」
蟻塚 亮二・須藤 康宏 著
「震災は終わっていない。特に福島の場合は」高齢の方は、最後まで放射能災害への複雑な思いを抱えて自分の死生観を構築しなければならない、とても難しい課題です。でも、目にし、耳にします。
震災10年を前にして、あの日とその後を語りたい様子も見てとれて、でも私自身もサロン活動の中では聴けないこともあったり、それを考える日々がずっと続いている
のです。
世界の医療団 臨床心理士
横内 弥生
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だから、役場さん来なかったら、私たちが浪江町に一番先に灯りをともすって考えで。。。お墓参りに来た人が立ち寄ってお茶でも飲めたらいいなぁと。
やっぱり生まれ育った空気はいいもの。
帰還住民の方
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話す・語る
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きっとそれまで心の中に溜まっていたものを出す場所がなかったのでしょう。心の悩みを話すという行為自体が一種の治療効果を持つと思います。つまり話すことで患者さん自身が自らを治していると言ってよいかもしれません。
世界の医療団 精神科医
小綿 一平
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「来ると楽しいから足を運ぶ、運動する習慣がついた」何でもいいんですけれど、それぞれの方が感じたことをその人がまた次の方につないでいただけると、それが大きな輪になっていくと、そう思ってくださる人が一人でもいるならば、この場があることを大事にしたい。
世界の医療団 健康運動実践指導者
小松原 ゆかり
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原発事故がもたらした最大の不幸は、いろんなものがバラバラにされたことです。家族も、職場も、地域も。「バラバラ・ハラスメント」と言ってもいいくらい。
ハラスメントの対処で大事なのは、被害者がまず嫌がらせをされたことに気づくこと。苦しんでいる人には、「あなたのせいではない。震災と原発事故のせいだよね」と伝えたい。
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風景を作り続けようとする住民さんがいるかぎり、この地は生き続けるのだろうと思っています。「なごみ」も、私も、ずっとここの風景の一部でいられるように、地道に地域づくりをしていきたいと思います。
「福島に生きる」ということ 中澤正夫 著 より
「なごみ」保健師の伏見 香代さん
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「ただベンチがあれば、そこにコミュニケーションが生まれる」と言ったひとがいた。
誰かが意図した何かではなく、ただ人が集まれる場所がある。真っ白な何も書かれていないキャンパスがあれば、そこに何でも描ける。
ベンチは、真っ白なキャンパスのようなもの。人が集まって、話すことで、何かが生まれるかもしれない。たとえば自然発生的に生まれたラジオ体操、身体を動かし、挨拶を生み、それは安否確認にもなった。
― その人の人生の選択が、その人の速度の中で守られる ―
人が追い込まれない街は、人が集まる場所がある。そこに会話が生まれている、人と人がゆるやかにつながり、そして何かがあればすぐに何とかなっている。だからただ話すことのできる真っ白な場所があればいい。
世界の医療団理事 精神科医
森川 すいめい