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大阪大学大学院理学研究科の特任研究員の関屋涼平さん(研究当時:京都大学大学院理学研究科の大学院生)、板橋健太教授、理化学研究所の田中良樹研究員、ドイツ重イオン研究所のクリストフ・シャイデンバーガー(Prof. Dr. Christoph Scheidenberger)教授、奈良女子大学の比連崎悟教授、京都産業大学の山縣淳子教授、神戸大学の池野なつ美准教授、ギーセン大学のフォルカー・メタグ(Prof.Dr. Volker Metag)名誉教授とマリアナ・ナノヴァ(Dr. Mariana Nanova)研究員らの国際共同研究グループは、中間子※1 の一種である η′中間子※2 と原子核が強い相互作用のみで束縛した新しい状態(η′中間子原子核)の兆候を世界で初めて観測しました。本論文は、米国科学誌『Physical Review Letters』において4月7日に出版されました。さらに、幅広い読者の注目を集めるべき重要な成果として、「Featured in Physics」に選出されました。
【研究成果のポイント】
・中間子の一種である η′(イータプライム)中間子と炭素原子核が、強い相互作用のみで束縛した全く新たな原子核の量子状態(η′中間子原子核)の兆候を、世界で初めて観測。
・新しく構築した実験セットアップにより、η′中間子原子核の生成事象を選択的に捉える手法を確立。
・本研究成果は、物質質量の起源や真空の構造の解明に向けて、新たな視点を提供し、今後の研究展開の指針となることに期待。
◆概要
現代物理学において、物質の質量がどのように生まれたか、という問いに対する答えは未だよくわかっていません。理論では、物質の質量は真空の複雑な構造に由来すると考えられていますが、実験的な知見は限られています。物質質量の起源を検証するには、真空の構造が変化した原子核内部で中間子の質量を測定することが有効です。そのため、研究グループは、数ある中間子の中でも η′中間子に着目し、η′中間子原子核というこれまで発見されていない新しい原子核の観測を目指した実験を行いました。
本研究では、η′中間子原子核の生成事象を選択的に捉えるための新しい実験セットアップを構築しました。これにより、世界で初めて η′中間子原子核の存在の兆候を示す実験結果を得ることに成功しました。これは、原子核内部で η′中間子の質量が減少していることを示唆する世界初の結果です。本研究は真空の構造に関する新たな視点を提供する可能性があり、物質質量の起源の解明に繋がることが期待されます。
本論文は、米国科学誌『Physical Review Letters』において4月7日(火)に出版されました。さらに、幅広い読者の注目を集めるべき重要な成果として、「Featured in Physics」に選出されました。
【板橋教授のコメント】
η′中間子原子核の生成と探索をめざしたこの国際共同研究は2012年2月に気温−-20度のドイツ・ギーセンから始まりました。日独を中心とした研究者が集まり、熱い議論を戦わせました。本論文は、それから14年後、得られた結果を出版するものです。これからより詳細な研究を進めるべく準備しています。
◆研究の背景
私たちの身の回りの物質は原子でできており、原子の中心には陽子と中性子で構成された原子核が存在します。陽子と中性子は、さらにクォークという素粒子が三つ集まってできています。陽子の質量は、単純に考えれば、クォークの質量の和に等しいはずですが、クォークの質量を実際に足してみても、陽子の質量の約1%程度にしか満たないことがわかります。残りの99%はどこからきているのでしょうか?このような物質の質量の起源の解明は現代物理学の大きな課題の1つです。
現在の物理学では、物質の質量の起源は、真空の構造に深く関わっていると考えられています。「真空」と聞くと、全く何もない空っぽの空間を思い浮かべるかもしれませんが、実際には構造を持っています。南部陽一郎博士の理論によると、真空にはクォークとその反物質である反クォークが対となって凝縮した「クォーク凝縮」の状態が存在しており、クォーク同士を結びつける糊の役割を持つグルーオンも複雑な働きをしていると考えられています。陽子や中性子のようなクォークから出来ている物質は、このような真空の複雑な構造と相互作用することによって、質量を獲得していると考えられています。
では、物質の質量が真空に由来することをどのようにして確かめれば良いでしょうか?物質の質量が真空の構造を反映しているならば、真空の構造が変化した環境では、質量も変化するはずです。そのような「場所」は意外と身近に存在します。それは、原子核です。原子核の内部は非常に高密度なため、真空の構造が変化しています。このことは実際に実験でも確かめられており、原子核内部では真空に比べてクォーク凝縮の密度が40%減少していることがわかっています。
研究グループは、η′中間子と言う粒子に着目しました。η′中間子は、クォーク凝縮の影響をグルーオンが伝達する事で大きな質量を獲得していると考えられています。よって、クォーク凝縮の密度が減少している原子核内部では、質量も減少することが予想されます。
実際にη′中間子の質量が原子核中で減少するか確かめるには、η′中間子が原子核に束縛した状態(η′中間子原子核)を作り、その量子状態を調べることが最も直接的な方法です。しかしながら、これまでいくつかの実験によってη′中間子原子核の観測が試みられましたが、現在まで発見には至っていません。
◆研究の内容
研究グループは、ドイツ重イオン研究所の破砕核分離装置(FRS)で、η′中間子原子核を生成する実験を実施し、世界で初めてその存在の兆候を示す実験結果を得ました。
本研究では、光速の約96%まで加速した高エネルギーの陽子を炭素12原子核標的と反応させることでη′中間子原子核を生成しました。陽子は炭素原子核中の中性子と反応し、重陽子となって標的の前方に射出されます(図1上段)。この原子核反応の際、陽子が持っていた運動エネルギーによって炭素11原子核が励起されてη′中間子が生成され、ある確率でη′中間子と炭素11原子核が束縛した状態、η′中間子原子核が作られます。励起エネルギー※3 に応じて、η′中間子が原子核から見て外側の量子軌道に束縛される場合や、内側の軌道に束縛される場合があります。η′中間子原子核は極めて短い時間で崩壊するので直接測定することはできませんが、前方に射出された重陽子の運動エネルギーを測定することで、エネルギーと運動量の保存則から、炭素11原子核の励起エネルギーを求めることができます。
一方、η′中間子原子核ができる反応の確率は極めて小さく、異なる反応が起きてしまう確率が100~1000倍程度もあるため、上記の測定を行っても、ほとんどがη′中間子原子核とは無関係な事象を測定することになります。このような背景事象を抑制しつつ、η′中間子原子核の生成事象を効率よく捉えることが、研究の鍵となります。そこで本研究では、η′中間子原子核が崩壊した際、比較的高エネルギーの陽子が放出されることに着目し(図1下段)、それを検出することによって生成事象を効率よく測定することを計画しました。
本実験では、前方に射出された重陽子のエネルギーを測るための破砕核分離装置(FRS)と、η′中間子原子核が崩壊して出てくる陽子を検出するためのWASA検出器を組み合わせた新しい実験セットアップ(図2・図3)を構築し、背景事象を約400分の1にまで削減してη′中間子原子核を選択的に捉えることに成功しました。図4は、本実験で得られたスペクトルで、横軸は炭素11原子核の励起エネルギー、縦軸は反応確率の度合いを表す反応断面積です。スペクトルに現れている2つの構造は、η′中間子が原子核に異なる軌道で束縛した状態の存在を示唆しています。このことは同時に、原子核密度においてη′中間子の質量が減少している可能性を示しています。
図4 今回の実験で得られた炭素11原子核の励起エネルギー分布。横軸の励起エネルギーは、η′中間子が真空中に静止して生成される場合を0とする。負の値はη′中間子と原子核の束縛状態に対応する。 丸が実験結果で、上下に伸びた線は統計誤差を表す。実線は実験結果に最も整合する理論スペクトル、点線は推定された背景事象の寄与。観測された2つのピーク構造は、η′中間子が炭素11原子核の内側の軌道に深く束縛した状態(青)と外側に浅く束縛した状態(赤)の存在を示唆する。
◆本研究成果の意義と展望
η′中間子原子核のように、中間子と原子核が強い相互作用のみで束縛した量子状態の存在が確認された例はこれまでありません。本研究は、そのような全く新たな原子核の兆候を世界で初めて掴みました。
得られた励起エネルギーのスペクトルは、クォーク凝縮の影響をグルーオンが伝達することでη′中間子が大きな質量を獲得するというメカニズムが予想する結果と整合しています。
現在、さらにデータ量を増やして、η′中間子原子核のより詳しい性質を調べる次期実験を計画しています。η′中間子原子核の存在が確定し、その性質を詳細に調べることができるようになれば、真空の複雑な構造による物質質量への寄与について実験的な知見が得られることが期待されます。現代物理学における大きな謎である質量の起源解明に向けて大きく前進します。
◆用語説明
※1 中間子
素粒子の一種であるクォークとその反物質である反クォークでできた複合粒子。現在までに、100種以上の中間子が発見されている。
※2 η′中間子
同族の粒子として、湯川秀樹博士が存在を予言し発見されたπ中間子がある。π中間子の約7倍の質量を持つ。
※3 励起エネルギー
原子核が最も低いエネルギーにある状態に比べて、どの程度エネルギーが高い状態になっているかを示す量。本文中では、炭素11原子核の励起エネルギーの事。図4では、η′中間子が深く束縛されるとマイナス側に、η′中間子が運動エネルギーをもって飛び出すとプラス側に、η′中間子が真空中で炭素11原子核に対して静止して生成された場合に0となるように表示している。
●図4キャプション
今回の実験で得られた炭素11原子核の励起エネルギー分布。横軸の励起エネルギーは、η′中間子が真空中に静止して生成される場合を0とする。負の値はη′中間子と原子核の束縛状態に対応する。 丸が実験結果で、上下に伸びた線は統計誤差を表す。実線は実験結果に最も整合する理論スペクトル、点線は推定された背景事象の寄与。観測された2つのピーク構造は、η′中間子が炭素11原子核の内側の軌道に深く束縛した状態(青)と外側に浅く束縛した状態(赤)の存在を示唆する。
◆特記事項
本研究成果は、2026年4月7日(火)に米国科学誌「Physical Review Letters」(オンライン)にFeatured in Physics として掲載されました。
・タイトル:“Excitation Spectra of the 12C(p,d) Reaction near the η′-Meson Emission
Threshold Measured in Coincidence with High-Momentum Protons”
・著者名:R. Sekiya, K. Itahashi, Y.K. Tanaka, S. Hirenzaki, N. Ikeno, V. Metag, M.Nanova, J. Yamagata-Sekihara, V. Drozd, H. Ekawa, H. Geissel, E. Haettner, A.Kasagi, E. Liu, M. Nakagawa, S. Purushothaman, C. Rappold, T.R. Saito, H. AlibrahimAlfaki, F. Amjad, M. Armstrong, K.-H. Behr, J. Benlliure, Z. Brencic, T. Dickel, S.Dubey, S. Escrig, M. Feijoo-Fontán, H. Fujioka, Y. Gao, F. Goldenbaum, A. Graña González, M.N. Harakeh, Y. He, H. Heggen, C. Hornung, N. Hubbard, M. Iwasaki, N.Kalantar-Nayestanaki, M. Kavatsyuk, E. Kazantseva, A. Khreptak, B. Kindler, H.Kollmus, D. Kostyleva, S. Kraft-Bermuth, N. Kurz, B. Lommel, S. Minami, D.J.Morrissey, P. Moskal, I. Mukha, C. Nociforo, H.J. Ong, S. Pietri, E. Rocco, J.L.Rodríguez-Sánchez, P. Roy, R. Ruber, S. Schadmand, C. Scheidenberger, P.Schwarz, V. Serdyuk, M. Skurzok, B. Streicher, K. Suzuki, B. Szczepanczyk, X. Tang,N. Tortorelli, M. Vencelj, T. Weber, H. Weick, M. Will, K. Wimmer, A. Yamamoto, A.Yanai, J. Zhao
・DOI:
https://doi.org/10.1103/6vsl-ng7x
なお、本研究は、JSPS科学研究費(No. JP24H00238、JP18H01242、JP23K03417、JP20K14499、JP20KK0070)の助成を受けて行われました
◆SDGs目標
4.質の高い教育をみんなに
9.産業と技術革新の基盤を作ろう
◆参考URL
板橋健太教授 研究者総覧
・URL:
https://rd.iai.osaka-u.ac.jp/ja/db917de6e747b969.html
【リリース発信元】 大学プレスセンター
https://www.u-presscenter.jp/