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近畿大学生物理工学部(和歌山県紀の川市)生物工学科准教授 堀端章は、近畿大学民俗学研究所(大阪府東大阪市)教授 藤井弘章と、学校法人りら創造芸術学園(和歌山県海草郡紀美野町)との共同研究により、世界遺産である高野山の山麓に位置する和歌山県海草郡紀美野町で、カヤの樹が栽培され大切に保存されてきた理由と方法を、民俗学と分子遺伝学の文理融合型研究によって明らかにしようとしています。
今回、県の天然記念物に指定されている「ヒダリマキガヤ※1 群」のうち、推定樹齢400年の樹が接木によって積極的に増殖されていた痕跡を発見しました。この樹は、接ぎ木技術※2 が利用された現存する樹としては、和歌山県内最古と考えられます。
また、紀美野町内のカヤの樹は地域で遺伝子的に差異があることも初めて明らかになり、カヤの樹が種子で持ち込まれたことや、その後各地域のカヤの種類が混ざることがなかったことなどが推察されました。紀美野町では高野山によりカヤの樹の栽培が奨励され、人の手で管理されていたと考えられており、カヤの樹の遺伝的特徴が明らかになれば、当時の人々の交流の範囲や密度を知ることにつながります。
本件に関する論文が、令和6年(2024年)11月23日(土・祝)に、近畿地区を中心とした作物学・育種学の学会誌である「近畿作物・育種研究会第197回例会講演要旨集」に掲載されました。
【本件のポイント】
●高野山の山麓に位置する和歌山県海草郡紀美野町にある推定樹齢400年のカヤの樹で、接木された痕跡を発見
●カヤの樹の遺伝的特徴が地域によって異なることを初めて発見
●当時の人々の生活や交流の状況を推察するうえで重要な研究成果
【研究の背景】
世界遺産である高野山は、1200年以上の歴史を持つ宗教都市であり、文化と自然が深く結びついています。その高野山麓で栽培されているカヤの樹は、木材が一木作りの仏像に利用されるだけでなく、実から採れる油が良質な食用油となり、厳寒期でも固まることがないため冬期の灯明にも用いられてきました。そのため、和歌山県の紀美野町などの旧高野寺領※4 では古くからカヤの樹の栽培が奨励されており、カヤの実は年貢として高野山に貢納されていました。古くは、仏像づくりのために直立して育つカヤが栽培されてきましたが、ある時期から油の収量の多いヒダリマキガヤの栽培が奨励されるようになったと推定されています。
また、カヤの実は縄文遺跡からも発見されており、狩猟・採集生活をしていたころからカヤと人とのつながりは深く、カヤの遺伝子を調べることで、山村と農村での人の生活や交流を明らかにすることができると考えられます。直立して育つカヤは用材として極めて優れていたため、バブル経済期に多くが伐採されてしまいましたが、ヒダリマキガヤは幹が直立せず分枝も多いことから用材として劣るため、現在でも樹齢800年を超える古木が残っています。そのため、ヒダリマキガヤの遺伝解析を行うことで、より古い時期から人の生活の一端を明らかにできます。
ヒダリマキガヤは、近畿圏を中心にいくつかの地域に分かれて集中的に生育しており、自然に生息域を広げたのではなく、人為的に栽植されたと考えられています。紀美野町の旧高野寺領もこのような地域の一つで、紀美野町の「ヒダリマキガヤ群」は平成31年(2019年)に和歌山県指定天然記念物となっています。天然記念物に指定する際の調査では、種別判定が形態的特徴にもとづいて行われましたが、実際には判別困難な樹も少なくありませんでした。
【本件の内容】
研究グループは、分子遺伝学的手法を用いて、紀美野町内のカヤの遺伝的構造※5を調査しました。本研究は、高野山麓のカヤの樹の成立を、分子生物学的手法を用いて解析した初めての調査となります。特に、根元は共通でありながら、部分的に異なる幹の特徴を示す樹が複数見いだされたため、複数の部位からDNAサンプルを採取して単一樹内の遺伝的差異の有無を検証することによって、これらの樹に接ぎ木技術が使われたことを明らかにしました。これにより、400年以上前から、カヤの樹において接ぎ木技術を用いた繁殖が積極的に行われていた可能性が示唆されました。
また、この解析で紀美野町内のヒダリマキガヤを含むカヤの樹の遺伝的構成に、これまでに知られていなかった地域的差異が存在することが初めて示されました。高野山地域のカヤの樹は人の手によって管理されていたと考えられるため、地域による遺伝的な差異は当時の人の交流圏の範囲や交流の密度を考える上で重要な情報となります。また、県の天然記念物に指定された「ヒダリマキガヤ群」は保護や活用が推進されており、本研究成果はそうした取り組みにも貢献できると考えられます。
【論文掲載】
掲載誌:近畿作物・育種研究会第197回例会講演要旨集
論文名:高野山麓の推定樹齢400年のカヤにおいてRAPD分析で検出された接ぎ木の痕跡
著者 :鞍雄介1,2、足立優貴2、奥紘雅2、藤井弘章3、堀端章2
所属 :1 りら創造芸術学園、2 近畿大学生物理工学部、3 近畿大学民俗学研究所
【研究の詳細】
1) カヤの樹の分布に関する調査
紀美野町内のカヤの樹の分布は旧高野寺領に偏っており、旧紀州藩領に栽植されている例はわずかです。ここから、カヤの樹の栽植は人の手によって積極的に行われたことと、その栽植に高野山の意向が強く関与していたことが推測されます。また、全国的にヒダリマキガヤの分布は著しく偏っており、高野山以外にも積極的にヒダリマキガヤの栽培を奨励した組織があったと考えられます。
2) カヤの樹のサンプル採取とゲノムDNAの抽出
紀美野町内の旧高野寺領内の2つの集落(図1)でカヤの樹のサンプルを採取しました。和歌山県指定天然記念物に指定されていない樹においては地権者の同意のもとに葉を採取し、天然記念物に指定されている樹においては、樹を傷つけることなく、落葉や落下果実を採取しました。得られた葉や果実の表皮からDNA抽出キットを用いて高純度のDNAを抽出しました。
3) RAPD-PCR※6 によるフィンガープリンティングパターン解析※7 とクラスター分析※8
採取したDNAを鋳型に用いて、予備実験によってあらかじめ選抜した7種類のランダムプライマーを用いたRAPD-PCRを行ってフィンガープリンティングパターンを得ました。ここで観察された多型バンドは65種でした。この65遺伝子座の遺伝子型にもとづいて、各サンプル間の非類似度行列※9 を作成してクラスター分析を行い、19種類のカヤの樹について樹形図を作成しました(図2)。
4) 400年前の接ぎ木の痕跡の発見
採取した14本のカヤの樹のうち2種本(図2の9と10、および、11から14)では、接ぎ木された可能性が示唆されました。その他は、それぞれ独立した樹で遺伝的に別個体といえます。サンプル11から14のうち、13と14は株元から生じているヒコバエ※3 で、主幹を挟んで反対側の位置から生じているため互いに異なる枝で、これらのヒコバエは直立した樹形を示していました。11と12はこの樹の主幹を構成する2本の異なる枝から採取したサンプルです。デンドログラム※10 から明らかなように、2本のヒコバエ(13と14)は遺伝的に完全に同一でした。これに対して、主幹である11と12は、株元のヒコバエと遺伝的に異なるばかりか、11と12でも遺伝的に異なっていました。この結果は、2枝のヒコバエが台木から生じた枝であり、2枝の主幹は台木に接がれた遺伝的に異なる2本の穂木であると推察されました。一般的な接ぎ木法では、1本の台木に1本の穂木を接ぎますが、複数の穂木を接ぐ方法として「芽接ぎ」があり、カヤの木は芽接ぎによって作成された可能性が示唆されました。
同様に、主幹9のヒコバエである10も明らかに9と別個体で、接ぎ木が行われていると考えられます。このように、この地域において少なくとも400年前にヒダリマキガヤの接ぎ木技術が確立されていたことが示されました。さらに、ヒコバエはいずれもヒダリマキガヤのクレード※11内に位置していたことから、ヒダリマキガヤの実生苗を台木として接ぐ「共台接ぎ」が行われたと考えられます。
5) カヤの樹の遺伝的構造の地区間差
ヒダリマキガヤが継続的に接ぎ木で増殖されていた場合、多くのヒダリマキガヤが互いにクローン個体となるため、その遺伝的多様性は極めて小さく、クラスター分析ではヒダリマキガヤとその他のカヤが分かれた後に、その他のカヤが地区間で再度分かれるはずです。しかしながら、この想定に反して、紀美野町の西側地区がクレードI、東側地区がクレードIIとして、遺伝的な特徴が明瞭に分かれることが示されました(図2)。
この結果は2つの重要な示唆を与えます。一つは、1000年以上前から隣接するこの地区間でカヤの樹の遺伝的交流がなかったこと、すなわち、カヤの種子を人が持ち出したり持ち込んだりすることがなかったことを示しています。もう一つは、ヒダリマキガヤの遺伝子が、最初は接ぎ木ではなく種子でこれらの地域に持ち込まれたことを示しています。持ち込まれた種子は、それぞれの地区内で実生繁殖を繰り返し、地区の遺伝子プール※12 に溶け込んでいったものと推察されます。さらに、ヒダリマキガヤのクレードとその他のカヤのクレードが分かれる時期が2つの地区で一致していたことから、ヒダリマキガヤの種子が同じ時期に2つの地区に配布されたことを示しています。ヒダリマキガヤが各地に集中して生育していることから、ある時期にヒダリマキガヤの種子を広域に配布した組織が存在し、そのような組織のうちの一つが高野山であったと考えられます。
6) ヒダリマキガヤの特性に関わる遺伝子の数
ヒダリマキガヤは、最初は種子で配布されて各地の遺伝子プールに溶け込んだ後に、接ぎ木繁殖も利用して大量増殖が図られたと考えられます。ここでヒダリマキガヤの特性を支配する遺伝子の数が多ければ、既存のその他のカヤとの雑種種子を播いてもヒダリマキガヤの特性を示す樹の出現数は少なく、もっと早くに接ぎ木による増殖に切り替えられたはずです。初期に種子繁殖で増殖がはかられたのは、接ぎ木技術が十分に確立されていなかった可能性も考えられますが、種子繁殖でも当面の問題はなかった、すなわち、ヒダリマキガヤの特性に関わる遺伝子の数が少なかったことが考えられます。接ぎ木技術そのものは平安時代の文書にも記載されています。
【研究者のコメント】
堀端章(ほりばたあきら)
所属: 近畿大学生物理工学部生物工学科
近畿大学大学院生物理工学研究科 生物工学専攻
近畿大学先端技術総合研究所
職位 :准教授
学位 :農学修士、博士(工学)
コメント:本研究は、民俗学的研究の成果を背景として立案されることで、初めて意味のある成果をもたらします。この研究を通じて、農作物を含む産業用生物に関しては、それを用いる人の関与を理解することなしには、いくら分子遺伝学的情報を積み重ねてもその本質にまでたどり着けないことを実感しました。これからも総合大学である近畿大学のメリットを生かして、産業を介した人と作物との関係を明らかにしていきたいと考えています。特に、このカヤの樹については、平安京の南に位置し、油の流通を管理していた「石清水八幡宮」の関与が指摘されており、近畿圏まで範囲を広げて遺伝構造の解析を進めることで、カヤに関わる人や地域のつながりを明らかにすることができると期待しています。また、和歌山県のこの地域には、空海がカヤの樹の栽培を奨励したとする「榧蒔石」の伝承が残っています。類似の伝承は、近畿だけでなく四国にも存在しています。カヤは縄文時代から普通にある樹ですので、空海が積極的に普及を図ったのはより生産性の高いヒダリマキガヤであった可能性があります。
【用語解説】
※1 ヒダリマキガヤ:カヤの変種の一つ。大きく長い実や種子にねじれた線があることが名前の由来。果実の収量が多く、油の生産性に極めて優れているが、幹がねじれて育ち、枝が多く出ることから材木用には適していない。
※2 接ぎ木技術:同種あるいは近縁種の植物を台木として、優良植物(作物)を穂木として結合させる(接ぐ)ことによって、より優れた特性をもつ植物(作物)を得る技術。台木を切った断面に穂木を接ぐ「切り接ぎ」や、台木の芽の部分を切り取ってそこに穂木の芽を接ぐ「芽接ぎ」など、多様な方法がある。特に、芽接ぎでは、台木の複数の芽に穂木の芽を接ぐ場合が多く、枝ごとに異なる遺伝子型を示す場合がある。接ぎ木技術は、特定の優良個体のクローンを作成する場合に用いるほか、結実までの期間を短縮できる。カヤは、播種から結実までに15年以上かかるが、接ぎ木を行うと数年で結実する。また、カヤの樹のように雌雄のある作物では、実生では雌雄が半数ずつ生じるが、雌樹を穂木として接ぐことで、すべての樹に実を成らせることができる。
※3 ヒコバエ:切り株や樹の根本から生える若芽のこと。
※4 高野寺領:江戸時代に幕藩体制が整備されるなか、平安時代から続く荘園の維持を認められた、紀州藩などに属さない地域のこと。これらの地域では高野山の管理のもと、さまざまな作物などを生産して高野山に年貢として納めることが求められていた。
※5 遺伝的構造:生物は同種であっても地域によって遺伝的な多様性を保有している場合があり、それを遺伝的構造という。集団においては、全体としてどのような遺伝子をどの程度の確率で保有しているかを調べて、遺伝的な特性を評価したものを示す。
※6 RAPD-PCR:ランダムに塩基を並べた短い配列(=ランダムプライマー)を用いてDNAを増幅することを示す。一般的には、任意の場所を増幅できるようにプライマーを設計するが、カヤの樹のように塩基配列情報がほとんどない植物種では設計できないため、RAPD-PCRを用いる。本研究では、予備実験で60種類のランダムプライマーを試し、7種類のランダムプライマーを選抜して用いた。
※7 フィンガープリンティングパターン:RAPD-PCRでは、植物個体ごとに異なるPCR増幅産物が得られ、これらの増幅産物を電気泳動によって分離すると、植物個体に固有のバンドパターンが確認できる。この固有のバンドパターンを一人ひとり異なる「指紋」に例えて、フィンガープリンティングパターンという。
※8 クラスター分析:非類似度行列のなかから、もっとも値が小さくなる対、つまり遺伝的に近いサンプルを見つけてグループ化するという作業を繰り返して、すべてのサンプル間の遺伝的距離を算出する方法。
※9 非類似度行列:フィンガープリンティングパターンにおいて、すべてのサンプルとバンドの組み合わせについて、同じバンドをもっていない程度(非類似度)を並べたもの。非類似度行列の中で最小の値をとるサンプルの対は、すべてのサンプルの中で最も遺伝的に近いサンプルといえる。
※10 デンドログラム:クラスター分析で得られた情報を図示したもの。図の下から順に遺伝的に近いものがグループ化されており、最終的には一つになる。図に示された縦軸方向の長さが時間の長さにおよそ比例しており、枝分かれしたおよその年代を推定することができ、この手法を分子時計という。
※11 クレード:分子系統学の用語で、共通の先祖から派生した全ての子孫により構成される集団を示す。
※12 遺伝子プール:一定の地域に生育する同種の生物がもつ遺伝子の総体。遺伝子プール間の近縁性を評価することで、異なる地域間の関係性を検証できる。
【関連リンク】
生物理工学部 生物工学科 准教授 堀端章(ホリバタアキラ)
https://www.kindai.ac.jp/meikan/505-horibata-akira.html
文芸学部 文化・歴史学科 教授 藤井弘章(フジイヒロアキ)
https://www.kindai.ac.jp/meikan/1172-fujii-hiroaki.html
生物理工学部
https://www.kindai.ac.jp/bost/
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