日本橋における新たな「地域コミュニティの核」が誕生
- 三井不動産株式会社
- 2014年10月23日
- 14:23
■ 三井不動産株式会社は、本年3 月より「福徳神社(別号:芽吹神社)」を建設してまいりましたが、この度竣工いたしましたのでお知らせいたします。なお、同日夜には遷座祭(せんざさい:ご神体を仮殿から新築神社に遷す儀式)が執り行われ、その後一般の皆様にご参拝いただけることになります。25 日(土)には奉祝祭(ほうしゅくさい:ご神体が奉還されたことを祝う祭典)が予定されております。
■ 当社は、東京都中央区日本橋室町において共同事業者の皆様と共に、「日本橋再生計画」の中核を担う「日本橋室町東地区開発計画」を推進してまいりました。室町東三井ビルディング(商業施設名:COREDO 室町1)、室町古河三井ビルディング(商業施設名:COREDO 室町2)・室町ちばぎん三井ビルディング(商業施設名:COREDO 室町3)と順次竣工してまいりました本計画は、この度の「福徳神社」竣工をもって全体竣工を迎えます。当社の目指す街づくりは、建物を再建することを端緒として、その地に昔からある良質なコミュニティに、年を経るごとに魅力を加え続けていくことにあります。その意味において、地域における精神的な拠り所として地元の方々に愛され、地域と共に歩んできた福徳神社を再建することは、その考え方を具現化したものです。
■ また当社は、福徳神社の隣地で開発中の「(仮称)日本橋本町二丁目特定街区開発計画」において、福徳神社と一体となった広場空間『(仮称)福徳の森』を整備(2016 年度竣工予定)することとし、その概要について決定いたしましたので合わせてお知らせいたします。
『(仮称)福徳の森』の概要
<コンセプト・狙い>
福徳神社と一体となった広場として、地元の方々や来街者の方々に憩い・賑わいの場をご提供します。また、広場の周囲には豊富に木々を植えることで、都心部において季節の移ろいを感じる貴重な緑陰スペースを整備します。
<具体的な計画・デザイン>
【地上部】
約1,000 m2の敷地中央には、イベント等多目的な利用が可能な広場を設けるとともに、広場を囲むような形で豊富な木々を植え、都心の森を演出します。また、「くすリのまち」の象徴でもある「薬祖神社」が、広場の中に移転する予定です。さらに、広場の一部には軽飲食も提供出来る店舗を設け、くつろぎのひとときをご提供します。
広場のランドスケープは、東京ミッドタウンの檜町公園等の造園を手掛けた榊原八朗氏監修の元、今後検討を進めてまいります。
【地下部】
広場地下には、地下通路を介してCOREDO 室町2 と繋がる商業空間を設け、地上のみならず地下にも賑わいを創出します。
【福徳神社の特徴】
・再建する拝殿のデザインについては、屋根形状を入母屋造り正面向拝及び千鳥破風付とするなど、現在の福徳神社の本殿のデザインを踏襲
・地下2階は、災害発生時に地域の帰宅困難者に提供する水や食料等の防災用備蓄倉庫(約360m2)
・地下1階には、公共の駐輪場・ミニバイク置場を99台整備し、周辺の違法駐輪対策に貢献
・「仲通り」「浮世小路」と一体的なライトアップ計画を金閣寺や平等院鳳凰堂を手掛けた内原智史氏に依頼
【福徳神社の歴史】
・清和天皇の貞観年間(859 ~876竣工年)には既にこの地に鎮座していたといわれる。
・神社の主祭神は「宇迦之御魂神」(うかのみたまのみこと)で五穀豊穣の神様。人々は神社を福徳稲荷とも呼びその周囲に広がる鎮守の森を稲荷の森と名付け、社地に立つ一里塚を稲荷の森塚と呼んでいた。この度の再建において、当時の塚に書かれていたと伝わる文言を記した一里塚を再現した。
・徳川家康をはじめとする歴代将軍も信仰し、二代将軍・秀忠が1614年の正月に参詣した折には、「福徳とはまことにめでたい神号である」と称賛の言葉を残したといわれ、この時、椚(くぬぎ)の木からなる鳥居に若芽が萌え出たことから「別名:芽吹稲荷」と命名された。この由緒にちなんで、新しい社殿の横にはお御籤を結び付ける木として、くぬぎの木を植えている。
【芽吹会】
・神威宣揚と地域の発展、崇敬者との相互親睦をはかることを目的に今般、地元の方が中心となり、「芽吹会」が組成。今後の福徳神社祭礼やその他神社の発展・周辺商業振興に資する行事を「芽吹会」が中心となり神社に協力していく。
【御神輿の作成】
・浅草神社御本社神輿をはじめ多くの神輿製作を手がける、1861年創業の太鼓・神輿・祭礼具の老舗、宮本卯之助商店が設計、製作を担当。
・福徳神社再建の象徴として、末永く語り継がれる神輿となるよう細部にまでこだわり製作。
・御神輿の全体の形状は現在のお社の屋根八つ棟型を踏襲(東京の宮神輿図鑑でも珍しい形)。また、日本橋の象徴である麒麟を堂羽目彫刻(※1)に採用。
・飾紐、鳥房、吹返し紋、瓔珞紋などに福徳神社の別名「芽吹稲荷」にちなんで芽吹き色を施した。
・瓔珞メタルには徳神社が徳川家康をはじめとする徳川家と大変ゆかりが深かったことから徳川家で使われていた印をモチーフにしたデザインを採用した。
※1、御神輿屋根下の堂部分で唐戸(神の御霊を入れる入口)のない左右を堂羽目という。
【薬祖神社について】
日本橋本町の薬業界は昔から、医薬の祖神と言われる大穴牟遅神(おおなむちのかみ)と少名毘古那神(すくなびこなのかみ)の二神を祭神とする水戸の大洗磯前(いそさき)神社、酒列磯前神社や東京上野の五條天神社に参詣して、崇敬の念を表してきたが、明治41年(1908)東京薬種貿易商同業組合(薬貿協会の前身、現公益社団法人東京薬事協会)が、前記五條天神社から薬祖神の御霊を迎え、11月22日、23日の両日、本町において大祭を行ったのをきっかけとし、以後隔年に大祭を執行していたのが由来。昭和4年(1929)11月、事務所建物の屋上に薬祖神社を造営。以後日本橋本町に鎮座し、毎年10月17日に例大祭を挙行している。
【榊原八朗氏プロフィール】
1944年静岡県生まれ。1967年東京農業大学造園学科卒業。1967年~1972年 (株)東京庭苑にて従事し、1975年~1976年 (株)東京庭苑・小形研三氏に師事。代表作品は「東京ミッドタウン・檜町公園」「六本木ヒルズ・毛利庭園」「昭和記念公園・日本庭園」など。「デザインの源泉は自然にあり」をモットーに、自然美を理論的に技術化した、日本を代表する造園家。
【「日本橋再生計画」について】
「日本橋再生計画」は、「残しながら、蘇らせながら、創っていく」をコンセプトに官民地元が一体となって推進しているプロジェクトです。「日本橋再生計画」の中核を担う「日本橋室町東地区開発計画」は、コレド室町、YUITO、コレド室町2・3が竣工し、本年10月の福徳神社の再建をもって全体竣工を迎えます。日本橋の更なる活性化と新たな魅力創造を目指し、今後も当計画を含めた「日本橋再生計画」を進めてまいります。