蚊は腹八分目を知る

-吸血停止シグナルの発見-

理化学研究所(理研)生命機能科学研究センター栄養応答研究チームの佐久間知佐子研究員(元東京慈恵会医科大学講師)、東京慈恵会医科大学熱帯医学講座の嘉糠洋陸教授らの共同研究グループは、哺乳類の血液中に存在する「フィブリノペプチドA(FPA) [1] 」が、ネッタイシマカ [2] の吸血を停止させる作用を持つことを発見しました。
本研究成果は、ウイルスなどの病原体を媒介する蚊の根源的な行動である吸血の仕組みの理解や、人為的に吸血を阻害する手法の開発など新たな感染症対策への応用が期待されます。

宿主の皮膚に止まって血を吸い始めた蚊は、血中に存在する吸血促進シグナルを受容することで吸血を継続させます。多くの場合、蚊は満腹になる(腹部が膨満する)前に吸血を停止し宿主から離れますが、吸血を停止させるシグナルについてはよく分かっていませんでした。
今回、共同研究グループは、宿主の血液が凝固するときに産生されるフィブリノペプチドAが、吸血の進行に伴ってネッタイシマカの体内で蓄積され、吸血促進シグナルよりも優位に作用して吸血を停止させることを見つけました。フィブリノペプチドAは哺乳類間で高度に保存されている分子であり、蚊はフィブリノペプチドAを吸血停止シグナルとして利用することで、さまざまな宿主に対する吸血を「腹八分目」で終えることができると考えられます。
 本研究は、科学雑誌『Cell Reports』オンライン版(6月20日付:日本時間6月21日)に掲載されます。なお、本研究成果のイメージ写真が、同誌6月25日号の表紙として取り上げられます。

背景                                  

蚊に刺される(血を吸われる)と皮膚がかゆくなるだけではなく、日本脳炎やマラリア、デング熱などに感染する恐れがあります。メスの蚊が行う吸血は、これらの病原体が私たちに伝播(でんぱ)される根本的な原因となる行動です。すなわち、吸血行動の仕組みを理解し、人為的に吸血を抑制するような行動操作ができれば、蚊による感染症の媒介を防ぐ新たな手法の開発につながる可能性があります。
蚊はヒトなど宿主の存在を体温や呼気などで感知し、誘引されますが、全ての蚊が吸血を開始するわけではありません。宿主の皮膚の中へと針(口吻(こうふん))を出し入れすることにより血管を探り当て、さらに血液の味を吟味して吸血の実行の可否を決定します。このときに蚊の吸血を促進する物質として、宿主の血液に含まれるアデノシン三リン酸(ATP)[3]が知られています。
ひとたび吸血を開始すると、宿主の血液にはATPが常に存在するので、蚊は吸血促進シグナルを受け取り続けることになります。一方で、長時間の吸血は宿主に気付かれるリスクを高めるため、適当なタイミングで吸血を停止する必要があります。そこで、吸血促進作用とは逆に吸血停止に関わる負の制御として、血液の摂取によって腹部が膨満することによる物理的な制御機構が報告されていました注)。しかし、一定量以上の血液を吸った蚊は、腹部が完全に膨満していなくとも吸血をやめることも知られており、他の制御機構の存在が示唆されていたものの、実体は明らかになっていませんでした。
注)Gwadz R.W., J. Insect Physiol.,15, 2039-44 (1969).

研究手法と成果                             

ヤブカの仲間であるネッタイシマカ(Aedes aegypti)は、熱帯・亜熱帯地域に広く生息し、デングウイルスなどを媒介する公衆衛生上最も重要な蚊種の一つです。共同研究グループは、メスのネッタイシマカを用いて、吸血停止に関わる物質の探索を試みました。まず、血液中に吸血停止物質が含まれているかを検証するため、実際の血液と、蚊の吸血を促進する合成溶液(ATP溶液)に対する吸血行動を比較しました。その結果、ネッタイシマカはマウスから直接吸血したときに比べ、人工吸血法[4]でATP溶液を摂取したときの方が、摂取量が多くなることを発見しました。すなわち、血液に本来含まれる何らかの物質が、吸血を抑制する働きをすることが推測されました。またマウスからの直接吸血の観察では、膨満に至る前に吸血をやめる個体がほとんどであることから、抑制的に働く物質は吸血の最初から存在する物質でも、直線的に徐々に増えるものでもなく、吸血の後半で急速に増加・活性化する物質であると予想されました。


ネッタイシマカは、マウスから直接吸血させたときに比べて、人工吸血法でATP溶液(緑色の液体)を摂取させたときに、より多くの液量を摂取した。グラフ中の点は、実験を行った個体を示す。摂取量の単位nl(ナノリットル)は10億分の1リットル。

次に、抑制作用を持つ物質の正体を突き止めるため、血液を成分ごとに分けて解析を行いました。蚊が吸血するのは、ATPが含まれる赤血球を摂取するためです。一方、血清[5]を単独で蚊に与えても摂取しないことが以前から知られており、血清は吸血行動に影響を与えないと考えられていました。しかし興味深いことに、ATP溶液に血清を加えると、ATP溶液単独を与えたときに比べ、腹部が膨満になるまで吸血するネッタイシマカの割合が顕著に減少しました。すなわち血清には、吸血を抑制する働きを持つ物質が含まれていることが分かりました。


血清には、タンパク質やペプチド、糖分やミネラルなどさまざまな分子が含まれています。共同研究グループは、血清を高速液体クロマトグラフィー法[6]で画分に分け、さらに蚊に対して吸血抑制効果を持つ画分を質量分析法[7]で解析することで、吸血停止効果を示す成分としてフィブリノペプチドAを同定しました。フィブリノペプチドAは血液凝固[8]が起きるときに最初に作られる小さな物質です。傷口などを保護するための血液塊は、フィブリン[1]が大量に集まって不溶化してできるものですが、フィブリンが集まるためには、まずフィブリノーゲン[1]と呼ばれる前駆体から、フィブリノペプチドAが切り出される必要があります。すなわち、フィブリノペプチドAを切り出すこと自体は血液凝固を進めるために重要ですが、切り出された後のフィブリノペプチドAは宿主にとっては不要な物質です。フィブリノペプチドAのアミノ酸配列は哺乳類の間では高度に保存されているため、さまざまな種の宿主から吸血を行う蚊は、血液凝固が起きていることを知るために、その際に発生する「ゴミ」ともいえるフィブリノペプチドAを活用したと考えられます。吸血中および吸血後のネッタイシマカの体内を調べたところ、吸血完了時にはフィブリノペプチドA量が高くなっていたことから、蚊は確かに吸血とともにフィブリノペプチドAを取り込んでいることが明らかになりました。


最後に、フィブリノペプチドAが吸血停止シグナルとして機能することを確認するため、人工合成したヒトフィブリノペプチドAを添加したATP溶液や、フィブリノペプチドAの生成を阻害する薬剤(ヘパリン)で処理したマウスの血液を蚊に与えてみました。これらの実験では、フィブリノペプチドAが存在すると蚊は吸血を途中でやめ、フィブリノペプチドAが存在しないと吸血が促進されました。さらに、フィブリノペプチドAを強制的に作り出す薬剤(バトロキソビン)で処理した血液を用いて、血中のフィブリノペプチドA量を増加させたところ、吸血を途中でやめるネッタイシマカ個体が増加しました。



 以上より、フィブリノペプチドAは、ネッタイシマカの吸血を「腹八部目」でやめさせる役割をする吸血停止シグナルであることが明らかになりました。前述の通り、蚊には腹部が完全に膨満したことを感知して吸血を停止させる物理的な制御があると報告されています。そこで、フィブリノペプチドAの吸血停止シグナルは、蚊が順調に吸血を遂行できなかった際により効果を持つのではないかと考えています。吸血に長い時間をかけると、違和感に気付いた宿主の忌避行動(手足や尾で追い払うなど)を誘発するため蚊にとって危険です。そこでネッタイシマカは吸血開始後に血液中に増え始めるフィブリノペプチドAの量を感知して、通常よりも長く吸血に時間をかけてしまった際に吸血をやめる仕組みを備えていると考えられます。




今後の期待                               

本研究では、宿主の血液中に蚊の吸血停止シグナルが存在することを明らかにしました。血液の中に吸血促進シグナルが存在し続けるにもかかわらず、蚊が吸血を停止することができる秘訣(ひけつ)は、吸血停止シグナルが吸血の進行に伴って作られる物質であるためです。
人類は、蚊の被害を防ぐため、古くは植物由来の殺虫成分や蚊帳の利用から、近年では致死遺伝子を導入した遺伝子組換え蚊の環境放出などさまざまな対策を試みてきました。本研究で同定されたフィブリノペプチドAを、蚊がどのように受容し、吸血を停止するのか詳細な機構はまだ明らかになっていません。今後この受容機構を解明し、受容機構を活性化する物質の探索などを進めることで、人為的に吸血停止を誘導する手法の開発や、蚊が媒介する感染症制御への応用が期待できます。

論文情報                                

<タイトル>
Fibrinopeptide A-induced blood feeding arrest in the yellow fever mosquito Aedes aegypti
<著者名>
Chisako Sakuma, Takeo Iwamoto, Keiko Masuda, Yoshihiro Shimizu, Fumiaki Obata, Hirotaka Kanuka
<雑誌>
Cell Reports
<DOI>
10.1016/j.celrep.2024.114354

補足説明                                

[1] フィブリノペプチドA(FPA)、フィブリン、フィブリノーゲン
血液の凝固に関わる物質。前駆体タンパク質フィブリノーゲンからフィブリノペプチドA(FPA)が切り出されることにより不安定なフィブリンが作られる。さらにフィブリノペプチドBが切り出されてフィブリン同士が集まることで不溶化し血塊が作られる。FPAは全長が16アミノ酸から成る短いアミノ酸重合体(ペプチド)。

[2] ネッタイシマカ
吸血性のヤブカ属の一種。学名Aedes aegypti。熱帯・亜熱帯地域に広く分布し、デング熱やジカ熱などの原因ウイルスを媒介する。

[3] アデノシン三リン酸(ATP)
生物全般に存在するリン酸化合物の一つで、塩基と糖が結合した化合物(ヌクレオシド)に三つのリン酸が結合していることから、三リン酸と呼ばれている。

[4] 人工吸血法
温めた血やATPなどの液体を人工膜越しに蚊に与えると、蚊は針を膜に突き刺し、疑似的な吸血を行う。この手法を人工吸血法と呼ぶ。

[5] 血清
血液が凝固したときに上澄みにできる液体成分。血球は含まない。

[6] 高速液体クロマトグラフィー法
シリカゲルなどの固定層を充填したカラムに分析したい液体を加圧して流し、液体中の物質と固定相との相互作用の差を利用して、各物質を高性能に分離して検出する分析方法。

[7] 質量分析法
物質を原子・分子レベルの微細なイオンにし、その質量数と数を測定することで物質の同定や定量を行う分析法。

[8] 血液凝固
血管が傷ついた際や、採血の際に血液が不溶化して血塊ができる止血反応を血液凝固と呼ぶ。血液凝固は多段階の連鎖反応から成り、最終的に酵素トロンビンの働きによって血液中の凝固因子である前駆体タンパク質フィブリノーゲンからフィブリノペプチドA(FPA)が切り出される。
共同研究グループ                               

理化学研究所 生命機能科学研究センター
栄養応答研究チーム
 上級研究員 佐久間知佐子(サクマ・チサコ)
 (東京慈恵会医科大学講師(研究開始当時))
 チームリーダー 小幡史明  (オバタ・フミアキ)
無細胞タンパク質合成研究チーム
 チームリーダー 清水義宏  (シミズ・ヨシヒロ)
 研究員 益田恵子  (マスダ・ケイコ)

東京慈恵会医科大学 
熱帯医学講座
教授 嘉糠洋陸  (カヌカ・ヒロタカ)
 基盤研究施設
  教授(研究当時) 岩本武夫  (イワモト・タケオ)

研究支援                                

本研究は、理化学研究所運営費交付金(生命機能科学研究)で実施し、科学技術振興機構(JST)創発的研究支援事業「感染症媒介蚊の吸血を制御する口吻味覚基盤の包括的理解(JPMJFR2016、研究代表者:佐久間知佐子)」、日本医療研究開発機構(AMED)医療分野国際科学技術共同研究開発推進事業「アフリカにおける顧みられない熱帯病(NTDs)対策のための国際共同研究プログラム(17jm0510002h0003、研究代表者:嘉糠洋陸)」、日本学術振興会(JSPS)科学研究費助成事業基盤研究(B)「病原体媒介蚊の吸血を負に制御する機構の理解(24K02066、研究代表者:佐久間知佐子)」「真菌・細菌・細胞内共生微生物による病原体媒介蚊のパラトランスジェネシス(19H03462、研究代表者:嘉糠洋陸)」、同若手研究「病原体媒介蚊の吸血を司る正と負の味覚制御機構(21K14866、研究代表者:佐久間知佐子)」「病原体媒介蚊における吸血前後の行動シフトを司る分子基盤の解明(19K15852、研究代表者:佐久間知佐子)」による助成を受けて行われました。

本件に関するお問合わせ先
学校法人慈恵大学 広報課 
メール:koho@jikei.ac.jp
電話:03-5400-1280

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組織名
学校法人慈恵大学
ホームページ
https://www.jikei.ac.jp/
代表者
栗原 敏
資本金
0 万円
上場
非上場
所在地
〒105-8461 東京都港区西新橋3-25-8
連絡先
03-3433-1111

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