ヒトiPS細胞を用いてヒト心不全モデルを試験管の中で再現 糖尿病治療薬SGLT2阻害薬による新しい治療効果の機序を解明
SGLT2阻害薬は、これまでの臨床研究においてHFpEF患者の予後を改善することが示されており、血糖値を下げる作用や腎臓を保護する作用に加えて、心臓そのものを守る働きがあると考えられてきました。しかし、その詳しい仕組みは明らかではありませんでした。
今回の研究では、HFpEFでは心臓の働きを調節する「eNOS-NO-cGMP-PKG経路」という重要な仕組みが正常に機能しなくなることが、病気の原因の一つであることを明らかにしました。また、SGLT2阻害薬が血管内皮細胞(血管の内側を覆う細胞)におけるeNOSというタンパク質を活性化することで、この仕組みを正常な状態に近づけ、心臓の働きを改善することが分かりました。さらに、解析の結果、SGLT2阻害薬には細胞内にナトリウムやカルシウムが過剰に入り込むことで炎症を引き起こすことを防ぐ働きがあることも明らかにしました。これにより、心不全の悪化につながる細胞への負担を軽減できる可能性が示されました。
今回の研究成果は、有効な治療法がまだ十分に確立されていないHFpEFに対する新しい治療薬の開発につながることが期待されます。また、ヒトiPS細胞から作製した心臓モデルが、今後の心臓病研究や新薬開発をさらに発展させる有用な研究手法となることも期待されます。
本研究成果は、iPS細胞等幹細胞分野において著名な米国科学誌「Cell Stem Cell」(2026年8月6日号)およびオンライン版で2026年7月16日午前11時(米国東部時間・EDT)に公開されました。
論文URL: https://www.cell.com/cell-stem-cell/fulltext/S1934-5909(26)00234-1
<研究成果のポイント>
- ヒトiPS細胞から作製した人工心筋組織を用いて、収縮する力は保たれているものの拡張する力が低下した心不全(HFpEF)の状態を試験管内で高い精度で再現することに成功した。
- 今回開発したHFpEFモデルを使って複数の薬剤を調べた結果、糖尿病治療薬「SGLT2阻害薬」が心臓の働きの低下を改善することを確認するとともに、その効果が「eNOS-NO-cGMP-PKG経路」の働きを回復させることで発揮されることを明らかにした。
- HFpEFモデルの開発により、今後HFpEFの新たな治療薬の開発や、ヒトiPS細胞を活用した心臓病研究の発展につながることが期待される。
<背 景>
HFpEF(収縮能の保たれた心不全)はHFrEF(収縮能の低下した心不全)と同様に予後が悪い病気であり、高齢化の進展に伴い、心不全患者の半数以上をHFpEFが占めるようになっています。しかし、HFrEFでは治療法が確立されている一方で、HFpEFでは有効な治療法がまだ十分に確立されておらず、病気の仕組みの解明や新しい治療薬の開発が重要な課題となっています。
これまでHFpEFの研究では、2019年に報告された高脂肪食と一酸化窒素(NO)の産生を抑える薬剤を用いて作製したマウスモデルが広く利用され、病気の解析が進められてきました。しかし、マウスはヒトと比べて心拍数や心臓の細胞にあるイオンチャネル(注3)の働きが異なるため、研究成果をそのままヒトに当てはめることには限界があり、ヒトの細胞や組織を用いた研究モデルの開発が求められていました。
一方、ヒトiPS細胞は、さまざまな病気を再現するモデルや新しい治療薬の開発への応用が期待されてきました。しかし、iPS細胞から作製した心筋細胞は、実際の成人の心筋細胞と比べて機能や構造が未熟であることが大きな課題でした。
研究グループはこれまで、重症心不全患者への再生医療を目指し、高純度のヒトiPS細胞由来心筋細胞を安定して大量に培養する技術を世界に先駆けて開発してきました(Cell Stem Cell誌に2013年に報告、Cell Metabolism誌に2016年に報告)。さらに、この技術を応用して、品質のばらつきが少ない心臓オルガノイド(注4)や、さまざまな特徴を持つヒトiPS細胞由来の心臓組織を作製し、新しい治療薬の開発に活用する研究を進めてきました(Cell Reports Methods誌およびAdvanced Science誌にいずれも2023年に報告)。
また、三次元に配置した微小な心筋組織とブタの心臓由来コラーゲンを組み合わせる独自の培養技術を開発し、従来よりも長期間、安定した状態で培養できる成熟した心筋組織の作製にも成功しました(Biomaterials誌に2023年に報告)。この心筋組織は、収縮と拡張の機能をより正確に再現できることから、心臓病の病態解明や新しい治療薬の開発への応用が期待されていました。
<研究手法・研究成果>
本研究では、研究グループがこれまでに開発してきたヒトiPS細胞由来の三次元心臓組織に、高脂肪酸と一酸化窒素(NO)の働きを抑える薬剤を加えることで、HFpEF(収縮する力は保たれているものの拡張する力が低下する心不全)の状態を再現できるか検証しました(図1A)。
その結果、高脂肪酸や薬剤の濃度を高くしたり、作用させる期間を長くしたりするほど、心臓が拡張する機能は段階的に悪くなることを確認しました(図1B)。さらに、この心臓組織では、心不全の指標となる遺伝子(NPPB)の発現が増加し、心筋細胞の収縮と拡張に重要なカルシウムの動きを調節する遺伝子の働きが低下していました(図1C)。臨床の血液検査でも使用される心不全の指標NT-proBNPは培養液中に漏れ出る量も実際に増加していました(図1D)。また、組織の観察では、線維化や細胞内のエネルギーをつくるミトコンドリアの異常も確認され(図1E)、HFpEFの特徴をよく再現したモデルであることが示されました。
| 図1 対照群とHFpEFモデルの特性の比較 (A)人工心筋組織の模式図と研究概要図 (B)拡張機能の定量評価 (C)遺伝子発現の比較 (D)培養上清解析の比較 (E)電子顕微鏡で観察された組織像の比較 |
| 図2 HFpEFモデルに対する治療薬スクリーニングとSGLT2阻害薬の効果 (A)拡張機能の定量評価 (B)心不全指標遺伝子発現の比較 (C)変化している遺伝子の機能解析 |
さらに、SGLT2阻害薬がどのように心臓の働きを改善するのかを詳しく調べるため、心臓組織で働く遺伝子を網羅的に解析しました。その結果、HFpEFの発症や改善に関わる遺伝子の変化が明らかになり、SGLT2阻害薬には炎症を抑える作用(抗炎症作用)があることが示されました(図2C)。
SGLT2阻害薬が炎症を抑える仕組みを明らかにするため、研究グループは2つの方法で詳しく解析しました。まず、三次元心臓組織を構成する細胞の種類や割合を変えながら実験を行い、高脂肪酸などによるHFpEFモデルの変化と、SGLT2阻害薬による改善効果を比較しました。その結果、SGLT2阻害薬が心臓の機能を改善するためには、血管内皮細胞が重要な役割を果たしていることが分かりました(図3A)。
次に、HFpEFの発症に深く関わると考えられている「eNOS-NO-cGMP-PKG経路」という、血管や心臓の働きを調節する重要な仕組みについて調べました。その結果、HFpEFモデルではこの経路の働きが低下していましたが、SGLT2阻害薬を加えることで、その働きが回復することを確認しました(図3B)。さらに、この経路を活性化することが知られているAMPKというタンパク質も活性化していることが分かり、SGLT2阻害薬はeNOS-NO-cGMP-PKG経路を活性化することで炎症を抑え、心臓の機能を改善している可能性が示されました。
| 図3 血管内皮細胞の重要性とeNOS-NO-cGMP-PKG経路の発現変化 (A)内皮細胞含有率の違いによる拡張機能の定量評価の比較 (B)PKG経路関連遺伝子の定量評価 |
この仕組みをさらに確かめるため、研究グループはeNOSの働きを失わせた細胞を作製し、同じ実験を行いました。その結果、SGLT2阻害薬による拡張する機能の障害や心不全、炎症の改善効果は認められませんでした。このことから、SGLT2阻害薬による心機能の改善には、eNOS-NO-cGMP-PKG経路の活性化が重要な役割を果たしていることが明らかになりました。
もう一つの解析では、SGLT2阻害薬が持つさまざまな働きのうち、どの作用がHFpEFの改善に関わっているのかを調べました。そのため、SGLT2阻害薬の作用の一部を持つ薬剤を一つずつ用いて比較した結果、NHE阻害薬(+NHEi LC、+NHEi HC)(注5)でHFpEFモデルの改善効果がみられることを確認しました(図4A、B)。この結果から、研究グループは細胞内のイオンチャネルに着目し、心臓組織の細胞内に含まれるナトリウムとカルシウムの量を調べたところ、HFpEFモデルではこれらが過剰に増えていましたが、SGLT2阻害薬を加えることで、その増加が抑えられることを確認しました(図4C)。さらに、培養した細胞を個別に解析した結果、ナトリウムやカルシウムの量を正常に保つためにも、血管内皮細胞が重要な役割を果たしていることが分かりました。これらの結果から、SGLT2阻害薬は血管内皮細胞に作用して複数のイオンチャネルの働きを調節し、ナトリウムやカルシウムが細胞内に過剰に蓄積するのを防ぐことで、細胞へのダメージや炎症を抑え、HFpEFの改善につながることが明らかになりました。
| 図4 NHE阻害薬の効果とSGLT2阻害薬のNa/Ca過負荷の抑制 (A)拡張機能の定量評価 (B)心不全指標遺伝子発現の比較 (C)組織中のNa・Ca含有量の比較 |
<今後の展開>
本研究の知見は、有効な治療法がまだ十分に確立されていないHFpEFについて、その発症の仕組みや、SGLT2阻害薬が心機能を改善するメカニズムの一端を明らかにしたものです(図5)。本研究で開発・活用したヒトiPS細胞由来の三次元心臓組織を用いた実験モデルは、ヒトの心臓の病態を高い精度で再現できることから、今後、HFpEFの病態解明をさらに進めるとともに、新たな心不全治療薬の開発に役立つことが期待されます。
| 図5 本研究の概略図 |
<用語解説>
(注1)ヒト人工多能性幹細胞 (ヒトiPS細胞:human induced pluripotent stem cell):
皮膚や血液などの体の細胞に特定の遺伝子を導入して作られる細胞で、さまざまな種類の細胞に変化できる能力を持つ。心筋細胞を作製できるため、病気の仕組みを調べたり、新しい治療薬の開発(創薬)や再生医療の研究に広く利用されている。
(注2)HFpEF(収縮能の保たれた心不全):
心臓は、血液をためる「拡張」と、全身へ送り出す「収縮」を繰り返している。HFpEFは、血液を送り出す力(収縮)は正常だが、心臓の筋肉が硬くなってしまい、十分に血液をためることができなくなる心不全である。加齢や高血圧、糖尿病、肥満などが原因で心臓が硬くなりやすく、高齢者に多くみられる。近年は高齢化に伴い患者数が増加しており、心不全患者の約半数を占め、心不全パンデミックの原因となっている。
(注3)イオンチャネル:
細胞の表面にある、ナトリウム(Na)やカリウム(K)、カルシウム(Ca)などのイオンを細胞の内外に出入りさせる通り道となるタンパク質。心臓では、電気信号の伝達や心筋の収縮・拡張を正常に保つために重要な役割を果たしている。
(注4)心臓オルガノイド:
オルガノイドとはヒトの細胞(主にiPS細胞など)を培養して作られる、心臓の構造や働きを一部再現した立体的なミニ臓器のことを指す。実際の心臓に近い環境で病気の仕組みを調べたり、新しい治療薬の効果や安全性を評価したりする研究に活用されている。
(注5)NHE阻害薬:
NHE(ナトリウム・水素交換体)は、細胞の中と外でナトリウム(Na)と水素イオン(H)を交換する働きを持つタンパク質である。NHE阻害薬は、この働きを抑えることで、細胞内にナトリウムが入りすぎるのを防ぎ、心臓の細胞への負担を軽くすると考えられている。SGLT2阻害薬には心筋細胞のNHE1(心臓に多いNHEの一種)の働きを間接的、あるいは一部直接抑える可能性が報告されている。
<文献情報>
論文タイトル:Human iPSC-derived engineered heart tissue model of diastolic dysfunction in heart failure with preserved ejection fraction
著者:谷 英典、芳賀 康太郎、森脇 大順、Uikyu Bang、藤井 翔平、関口 大智、山本由姫、桃井 晋子、大野 昌利、中村 匡、梅井 智彦、森田(梅井) 唯加、相馬 雄輔、岸野 喜一、佐野 元昭、福田 恵一、堀田 秋津、家田 真樹、遠山 周吾
所属:藤田医科大学 医学部臨床再生医学、藤田医科大学東京 先端医療研究センター
DOI:10.1016/j.stem.2026.06.007
<特記事項>
本研究は、国立研究開発法人日本医療研究開発機構(AMED) 再生・細胞医療・遺伝子治療実現加速化プログラム「細胞外代謝環境スクリーニング系による高機能化オルガノイドの作製とその応用」(24bm1123010)、日本学術振興会(JSPS)科学研究費助成事業(科研費)(JP23K27683、JP23K15140)、神奈川県立産業技術総合研究所(KISTEC)、公益財団法人日本心臓財団研究助成、公益財団法人先進医薬研究振興財団(SENSHIN Medical Research Foundation)、ノバルティス ファーマ基礎研究助成(Novartis Pharma Grants for Basic Research)、公益財団法人日本応用酵素協会研究助成(Japan Foundation for Applied Enzymology)、およびHeartseed株式会社の研究助成を受けて実施されました。
