世界初、人の動作の「ばらつき」を生む脳の仕組みを解明 ~医療・スポーツ分野における運動能力の評価・向上への新たな道筋~
- 人の動作には必ず一定の「ばらつき」が生じ、狙った箇所からほぼ毎回位置がずれるなどしますが、この主な原因は、従来脳から筋への信号に含まれる”筋活動強度の乱れ”であると考えられてきました。
- 本研究では、手先を目標位置に到達させる運動、腕で周期的に力を発揮する運動、手先で円を描く運動など様々な腕運動に対して、動きのばらつきと一貫して関連するのは“筋活動強度の乱れ”ではなく、“筋活動タイミングの乱れ”であることを世界で初めて明らかにしました。
- 本成果は、従来の脳運動制御理論を刷新し、「動きのばらつき」に関連する幅広い現象の脳科学的理解に新たな視点を提供します。さらに、“筋活動タイミング”に着目した新たなスポーツトレーニング法やリハビリ評価手法の創出が期待されます。
NTT株式会社(本社:東京都千代田区、代表取締役社長:島田 明、以下「NTT」)は、世界で初めて、人の動作に生じる「ばらつき」の主な要因のひとつが、脳から筋へと送られる筋活動の“タイミングの乱れ”であることを明らかにしました。
人が体を動かす際には、脳から筋へと指令が送られ、筋活動が生じることで運動が実現します。しかし、運動には必ず一定の「ばらつき」が生じ、日常動作から高度なスポーツスキルに至るまで、思い通りに体を動かせない要因となります。こうしたばらつきが生じる仕組みの解明は、脳の運動制御研究における重要なテーマとされ、従来は“筋活動強度の乱れ”がその主因と考えられてきました。しかし本研究では、到達運動・周期運動・円運動を対象とした様々な腕運動において、動作のばらつきと筋活動の関係を精緻に検証した結果、ばらつきと密接に関連する主因は、“筋活動強度の乱れ”ではなく、“筋活動タイミングの乱れ”であることを発見しました。さらに、利き手と非利き手で観察されるばらつきの違いについても、筋活動タイミングの乱れの程度で説明できることが明らかになりました。
本成果は、運動スキル学習、疾患による運動失調、利き手の優位性、運動の発達や加齢変化など、「動きのばらつき」に関連する幅広い現象の脳科学的理解に新たな視点を提供します。加えて、運動のばらつきの主因が明確になったことで、筋指令タイミングのモニタリング・改善に基づく、スポーツパフォーマンス向上、リハビリテーションの新たな訓練法、健康状態の定量的評価手法の確立につながることが期待されます。
本成果は、2026年3月2日にNeural Networksに掲載されました。
1.背景
NTTコミュニケーション科学基礎研究所では、人間の知覚・感性・身体運動を本質的に理解し、それら基礎知見に基づく新たな身体コミュニケーションの理解や支援技術の提案をめざしています。中でも、人の運動スキルに関わる脳情報処理の解明は、スキルの定量化や向上に直結する重要なテーマと位置付けています。ゴルフやダーツを例にとると、本人は同じ動作を繰り返しているつもりでも、毎回わずかな「動きのばらつき」が生じます。このばらつきは、思い通りに体を動かせない要因となり、運動パフォーマンスにも深く関わります。ばらつきが生じる仕組みの解明は、脳の運動制御研究においても、長年重要な課題とされてきました。この仕組みを本質的に理解するには、脳がどのように筋へ指令を送り身体を制御しているのかを明らかにする必要があり、脳活動計測のみならず、計算理論の構築、行動実験など、多角的なアプローチが求められます。
従来の研究では、動きのばらつきは主に筋活動強度の乱れ、すなわち脳から筋へ送られる指令の「強さ」の変動によって引き起こされると考えられてきました。例えば、的に向けてダーツを投げる際には、腕の加減速を適切に制御するため、脳は肘の主動筋と拮抗筋※1を切り替えて活動させる必要があります(図1左)。従来説によれば、この二つの筋の出力、すなわち収縮強度が毎回わずかに乱れることで、手先の位置やダーツの軌道がばらつくと説明されてきました(図1中)。しかし近年、筋活動強度の乱れ※2から予測される動きのばらつき量※2や方向が、実際の実験結果と一致しないなど、仮説に反する事例が報告されてきました※3。このため、動きがばらつく主因は未だ十分に解明されていませんでした。
そこで本研究では、従来見過ごされてきた、脳から筋へ送られる指令の「タイミング」に着目し、主動筋と拮抗筋の活動タイミングの乱れこそが、動きのばらつきを決定づける主因であることを、世界で初めて明らかにしました(図1右)。
2.研究の成果
筋指令タイミングについて、先ほどのダーツの例で考えると、腕を加速させる主動筋と、動きを減速させる拮抗筋の活動タイミングが重要になります。これらのタイミングが乱れると、ダーツの動きも安定せず、上下方向にばらついてしまいます。この考えに従えば、動作に関与する筋の数が増える複雑な動きほど、それぞれの筋活動タイミングの精度がより重要となり、わずかなタイミングずれが大きな運動ばらつきにつながるはずです。本研究では、筋同士で異なる種類の協調が必要な複数種類の腕運動 ―到達運動・周期運動・円運動― を実験課題として設定し、動きのばらつきと筋活動の関係を、同時計測データに基づいて詳細に解析しました。その結果、いずれの運動課題においても、動きのばらつきと密接に関連しているのは、筋活動強度の乱れではなく、筋活動タイミングの乱れであることが明らかになりました。
① 到達運動の位置のばらつき
実験参加者15名には、運動計測用のロボットハンドルを握り、肘を曲げることで手先をスタート位置から目標位置まで動かす到達運動を、50回繰り返してもらいました(図2左)。参加者は同じ動きを毎回繰り返しているつもりでも、到達運動は試行ごとに明確なばらつき(到達位置のばらつき)が観察されました(図2中央上)。肘の動きに関わる主動筋と拮抗筋の活動を、皮膚表面に貼りつけた電極で計測したところ、手先を加速させる主動筋と、減速させる拮抗筋が、交互に活動することが見られました(図2中央下)。これらの筋活動は、試行ごとに活動強度が乱れることに加えて、活動タイミング(ピークに達するまでの時間)にも乱れが生じていました。到達運動のばらつきと筋活動の関係を解析した結果、手先位置のばらつきは、筋活動強度の乱れとは関連せず、一方で筋活動タイミングの乱れとは有意に関連していることが明らかになりました(図2右)。以上の結果から、到達運動における動きのばらつきは、主に筋活動タイミングの乱れで説明できることが示唆されました。
② 周期運動の力のばらつき
次に、ドラムを叩くような周期運動においても同様の傾向が見られるかを検証しました。周期運動は、到達運動とは異なる神経制御機構で実行されることが過去の研究でも示されているため、ここでも筋活動タイミングの乱れが運動のばらつきを説明できるかを改めて調べました。さらに、利き手と非利き手での運動能力の違いに着目し、その違いが筋活動タイミングの乱れと関連するかを調べるため、左右両腕を測定対象としました。
実験参加者15名(全員右利き※5)には、固定されたロボットハンドルを握り、左腕または右腕を用いて、メトロノームで提示したリズムに合わせて一定の力を発揮する運動課題を行ってもらいました(図3左)※6。リズムに同期した力発揮(図3中・上段)を実施中の、手首・肘・肩に関わる主動筋および拮抗筋、計6筋の筋活動を計測したところ、各筋にも周期的な活動が見られました。1周期毎の筋活動を切り出し、筋活動強度およびタイミングの乱れを評価した結果を、図3中・下段に示します(典型的な参加者における左手首および右手首の例)。
まず、利き手の影響を調べるために左右の腕運動を比較しますと、力発揮のばらつきが大きい左腕利用時には、右腕利用時と比べて、筋活動タイミングの乱れが大きくなる傾向が見られました。全参加者の手首データを解析した結果、このような左右差は、筋活動タイミングの乱れにおいては顕著に観察された一方で、筋活動強度の乱れにおいては顕著ではありませんでした(図3右、白丸と黒丸の比較)。
次に、力のばらつきと筋活動のばらつきの関係について、実験①と同様に線形混合効果モデルを用いて解析した結果、実験①の結果と同様に、力のばらつきは筋活動強度の乱れとは関連せず、筋活動タイミングの乱れと有意に関連していることが明らかになりました(図3右)。さらに、これらの傾向は、図示した手首に限らず、肘および肩においても一貫して観察されました。以上の結果は、周期運動においても、力のばらつきが筋活動タイミングの乱れと関連していること、また非利き手で力発揮のばらつきが大きくなる一因が筋活動タイミングの乱れにある可能性を示唆しています。
③ 円運動の加速度のばらつき
ここまで、運動のばらつきに筋活動タイミングの乱れが重要であることを示してきました。一般に、動作に関わる筋の数が増える複雑な運動ほど、各筋のタイミング精度がより重要となり、わずかなタイミングずれが大きな運動ばらつきにつながると考えられます。そこで、実験③では、周期運動の中でも特に多くの筋の協調動作が必要とされる円運動に着目し、実験②の参加者を対象として、円運動のばらつきと筋活動タイミングとの関係を検証する実験を実施しました。
実験参加者には、片手でスマートフォンを持ち、もう一方の手に持った紙上のガイド円の上を、できるだけ安定してなぞる運動課題を行ってもらいました(図4左)。円運動は、2.5Hzのメトロノーム(一秒あたり2.5回転)に合わせ、15秒間連続して実施しました。スマートフォンから取得した加速度データを解析した結果、円運動のばらつき度※7は、参加者ごと、また使用する腕によって大きく異なりました。図4中・上段に、参加者4名(A、B:右腕利用、C、D:左腕利用)の円運動を例示していますが、円運動のばらつき度は、AからDの順に大きくなります。図4中・下段には、全参加者15名について、左右の腕から評価した筋活動強度の乱れ(6筋の平均値を利用)、および筋活動タイミングの乱れを、それぞれ小さい順に並べた結果を示します。先ほど示した参加者4名(A~D)を図内に対応させると、筋活動強度の乱れについては、円運動のばらつきの大小関係と必ずしも一致しません。一方、筋活動タイミングについては、円運動のばらつきが大きくなるにつれて、筋活動タイミングの乱れも大きくなる傾向が観察されました。円運動のばらつきと筋活動のばらつきの関係について、実験①、②と同様の手法にて詳細に解析した結果、円運動においても、運動ばらつきと一貫して関連するのは、筋活動強度の乱れではなく、筋活動タイミングの乱れであることが明らかになりました(図4右)。
3.今後の展開
本研究では、到達運動・周期運動・円運動といった性質の異なる腕運動において、動きのばらつきと一貫して関連する主因が、筋活動強度の乱れではなく筋活動タイミングの乱れであることを明らかにしました。今後は、行動実験に脳活動計測や理論研究を組み合わせ、筋活動タイミングを制御する脳部位や神経表現を明らかにし、運動スキル学習、疾患による運動失調、利き手の優位性、運動発達や加齢変化など、「動きのばらつき」に関連する幅広い現象の脳科学的理解を推進します。また、NTTでは得られた知見を、スポーツや医療など幅広い領域へ展開することを視野にいれています。例えば、スポーツ分野では、運動ばらつきから個人のスキル特性を可視化し、スキル向上をめざしたテーラーメードなトレーニング法の提案につなげます。また医療・リハビリテーションでは、運動機能に障がいを持つ患者の運動失調度を簡便かつ適切に評価する新たな指標や、その障がいの改善を促す手法の確立が期待されます。
・2024年6月17日「スマートフォンを回転させることで手足の器用さを定量的に測る手法を開発~成長・加齢・トレーニングに伴う器用さの変化を見える化し、運動能力向上に貢献~」
( https://group.ntt/jp/newsrelease/2024/06/17/240617b.html )
論文情報
雑誌名:「Neural Networks」
題 名:Minimizing command timing variability is a key factor in skilled actions
著者名:Atsushi Takagi, Sho Ito, Hiroaki Gomi
DOI:https://doi.org/10.1016/j.neunet.2026.108759
URL:https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0893608026002212
【用語解説】
※1 ある動作の実現に中心的な役割を果たす筋を主動筋、主動筋とは反対方向に働く筋を拮抗筋とよぶ。
※2 乱れ、ばらつき: 運動や筋活動において、試行間で計算されるそれらの標準偏差。
※3 Van Beers, R. J., Haggard, P., & Wolpert, D. M. (2004). The role of execution noise in movement variability. Journal of neurophysiology, 91(2), 1050-1063.
※4 線形混合効果モデル: 個人差などの影響を考慮しながら、変数間の関係性を統計的に評価する解析手法。
※5 右利き: 利き手に関しては、質問紙による利き手調査(エディンバラ利き手テスト)で決定された。
※6 周期運動課題では、手首・肘・肩のそれぞれで力発揮を行わせ、対応する主動筋と拮抗筋の筋活動強度および筋活動タイミングの乱れを計測。音のリズム(メトロノーム)は 3、4、5 Hz の 3 条件で提示。
※7 円運動のばらつき度: 複数回の円運動において、加速度軌道の類似度から評価される値。
