[体験談]前向きに明るく過ごしてなんと透析40周年!「命をつないでもらっている私たちにできることは、きちんと社会生活を送ることなんです。」

NPO法人 腎臓サポート協会

「腎臓病なんでもサイト」では、腎臓病と共にイキイキとくらす患者さんの体験談をご紹介しています。

腎臓病と闘う人にとって、同じ病気を持つ先輩患者さんから聞く体験談は何よりも心の支えになるもの。「腎臓病なんでもサイト」では、さまざまな患者さんに、病気の受けとめ方や乗り越えた経緯、ご家族のサポートなど、貴重なお話を伺っています。 今回の体験談は、前向きで明るくみんなから愛されている「サッちゃん」こと森本幸子さん。透析40周年を祝うパーティでお話を伺いました。 昨年11月、森本幸子さんの透析40周年を祝って、全国から大勢の仲間がかけつけてくれました。「さっちゃんの元気予報」のブログ・メンバーで、皆さん、透析開始で悩んでいる時、森本さんの言葉に助けられ共に乗り越えてきた方々です。自らの体験を語ることで、悩んでいる人のためになりたいという森本さんにお話を伺ってきました。。 (※職業・年齢や治療法は、取材当時のものです。) ―――――――――――――――――――――――――― ■【79号】森本 幸子さん(53才 女性) ―――――――――――――――――――――――――― 患者さんプロフィール: 1962年10月、神戸市生まれ、53才。遺伝性のアルポート症候群のため12才で透析導入、昨年8月に透析暦40年を迎える。高校卒業後に会社勤務。その後簿記1級を取得し転職。36歳で結婚。現在は総合病院勤務。講演活動のほか、ブログやFacebookで体験談を語り、多くの支持を集めている。車の運転、エアーライフルや交響曲第9番の合唱など、趣味にも積極的に取り組んでいる。 <記事の一部をご紹介!> ―――透析40周年おめでとうございます。今日のパーティに参加なさっているのは、透析のお仲間ですか? 森本 はい、北海道から九州まで、全国から、患者だけでなく、お医者さんとか透析スタッフ、ご家族も含めて40名くらい来てくれました。 ―――森本さんの地元の神戸じゃなくて、どうして東京で? 森本 神戸では4年くらい前にやったんですが、その時は60名くらい集まりました。 ―――すごい!そのネットワークは、どうやって作ったんですか? 森本 15年くらい前にサイトを始めたんですけど、そこにみんなが集まってきて、広がっていったんですね。 ―――なんというサイトですか? 森本 「さっちゃんの元気予報」です。 ―――サイトを始められたのはなぜですか? 森本 今日も若くかわいい女の子が来てくれましたけど、自分も透析をしながら同じような時期を過ごしてきたので、困ったり悩んだりしているのを見ると応援したくなるんです。それでそういうことを書き連ねてきたら、どんどん広がって。 ―――知らせておいた方がいいと思うことを、書くわけですか? 森本 そうですね。40年やってきて良いことばかりではないので、悪いことも書きます。現実としてこういうこともあるんだよということを知らせるために、書くんです。 ―――たとえば? 森本 長いこと透析をしているとさまざまな合併症にもかかります。アミロイドが舌に沈着して激痛が走って食べられなくなったことや、穿刺に40分もかかったことなど、なんでも赤裸々に書きます。 ―――反応はどうですか? 森本 辛いことを書いたときは、むしろ反応がないんですけど、みんな読んで何かを感じてくれていると思います。私もそうでしたけど、たとえば長期間透析をしていて合併症がでたということを読んで、「自分も将来なるかもしれない」と思いながらも、片方では「私はならない」と思ってしまうんですね。 ―――「自分が死ぬ」なんて誰も思っていないようなものですか? 森本 そう、でも、もし将来同様なことが自分の身に起こったときにジタバタしないためには、知識として持っていた方がいいでしょ。だから私は自分の身に起こったことを伝えるようにしているんです。 ―――具体的にいろいろ書くと、メールがたくさんくるわけですか? 森本 はい、掲示板があって、「こういう状態なんですけど、どう思う?」と質問が投稿されると、私だけでなく、お医者さんや技師さんなど、あらゆる方面の方が答えてくれるんです。 ―――それは助かりますね。今もそれを続けているのですか? 森本 いえ、あまりにも広がって、メールに返事を書くのに1日の大半を使うようになってしまったので、ちょっとお休みしています。その代わりにFacebookで遊んでいます。 ―――原疾患は何ですか? 森本 アルポート症候群という遺伝性の病気です。 ―――透析はいつから? 森本 1974年、12才のときで小学校6年生でした。 ―――小児だと、腹膜透析(CAPD)ですか? 森本 いえ、今のようなCAPDはなく、その前身の腹膜環流という方法でしたが、すぐに腹膜炎を起こしてしまいました。 ―――では血液透析(HD)で? 森本 はい、HDもまだ発展途中で、内シャントを作って使えるようになるまで2週間、血管を体の外に出した外シャントで透析していました。 ―――外シャントなんて久しぶりに聞きました。それで何かトラブルはありましたか? 森本 トラブルは山程ありました。当時は子供用のダイアライザーがなくて手作りで工夫したり、今でもそうですが、血管が細くて穿刺が大変なんです。シャントがすぐにダメになるので、もう20回以上も手術してるんです。 ―――20回というのは始めて聞きました。 森本 それと今でいう透析困難症で、もともと低い血圧が、透析を始めると60代まで下がっちゃうんです。 ―――それは、ふらふらですね。 森本 当時の透析は8時間でしたけど、その間ずっと吐き続けて、洗面器を抱えて過ごしました。 ―――辛かったでしょうネ。 森本 でも院長先生は「勉強しなさい」とおっしゃるので、洗面器を抱えながら勉強してました。それに比べると、今は医療が進歩して機械も良くなり、ずっと楽に良い透析が受けられるようになりました。 〈後略〉 ▼79号 全文はこちらから http://www.kidneydirections.ne.jp/kidney_info/experience/expe_79.html ※『腎臓病なんでもサイト』患者さんの体験談からの抜粋です。 ▼▼患者さんの体験談~一病息災~ バックナンバー▼▼ http://www.kidneydirections.ne.jp/kidney_info/experience/index.html

【本件に関するお問い合わせ先】
NPO法人 腎臓サポート協会
info@jin-support.org

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