【研究成果のポイント】
●沖縄県西表島近海由来の渦鞭毛藻(うずべんもうそう)*¹⁾ から発見された海洋天然物「イリオモテオリド-1a」は、複雑な分子構造と強力な抗がん作用から、世界各国の化学者から注目されていた。
●イリオモテオリド-1aの立体構造*²⁾ の解明については、高知大学の研究グループによる単離以降、17年もの間、数多くの研究グループが挑戦してきたが、決定できていなかった。
●本研究では、NMR構造解析*³⁾ 、計算化学、合成化学の統合的アプローチにより、世界で初めてイリオモテオリド-1aとその天然同族体イリオモテオリド-1bの構造決定と化学合成(全合成)に成功した。
●従来的なアプローチでは決定が困難な天然物の立体構造を効率的に解明できるようになり、天然物創薬やケミカルバイオロジーなどの研究領域での革新的な化合物の発見・創出が期待される。
※本プレスリリースは、中央大学、高知大学との共同発表です。
概要
中央大学理工学部 教授の不破 春彦と高知大学農林海洋科学部 教授の津田 正史らの研究グループは、沖縄県西表島近海で採取した渦鞭毛藻から単離した、抗がん性海洋天然物「イリオモテオリド-1a」およびその天然同族体「イリオモテオリド-1b」の立体構造を決定し、完全化学合成(全合成)に成功しました。
イリオモテオリド-1a は強力な抗がん作用を有する天然物として世界各国の研究者から注目されてきたものの、その複雑さからNMRデータに基づいて立体構造を解明することが難しく、数多くの研究グループの挑戦が退けられていました。このため、イリオモテオリド-1a は、現在、立体構造の決定が最も困難な分子の一つとして知られています。本研究では、NMR構造解析に加えて、計算化学、合成化学の統合的アプローチにより、イリオモテオリド-1aおよび-1bの全立体構造の効率的な解明に成功するとともに、世界初の全合成を達成しました。すなわち、天然標品のNMRデータを再解析した上で候補となる立体異性体*⁴⁾ 群を絞り込み、次いで計算化学によるシミュレーションと合成化学による検証で、全立体構造を決定する戦略としました。また、今回決定した立体構造を元に市販原料より合成したイリオモテオリド-1aは、天然標品とよい一致を示し、培養ヒトがん細胞に対してナノモル濃度で増殖を阻害することも確認しました。今後は、イリオモテオリド-1aや-1bの抗がん作用のメカニズム解析や動物実験による薬効の確認へと研究を展開します。
世界には、いまだ構造式が定まらず、その利活用が立ち遅れている複雑な天然物が数多く存在しますが、本研究で開発した統合的アプローチによる効率的な構造解明で、天然物創薬やケミカルバイオロジーなどの研究領域で革新的な化合物の発見・創出が進むことが期待されます。
本研究成果は、アメリカ化学会誌「Journal of the American Chemical Society (JACS)」のオンライン版に2024年10月17日(米国東部時間)付で公開されました。
【研究内容】
1.研究の背景
化合物の機能は構造により規定されるため、化合物の機能を理解するには、構造式を正しく決定することが不可欠です。現代では、天然物の構造式は主としてNMRスペクトルデータを元に決定されますが、複雑な天然物の構造式はNMR構造解析のみでは正確に決定できないことがあります。
渦鞭毛藻の二次代謝産物*⁵⁾ は特異な構造と強力な生物活性を有する新規天然物の宝庫として知られ、がんや感染症の治療薬のシーズとして興味が持たれています。イリオモテオリド-1aおよびその天然同族体イリオモテオリド-1bは、高知大学の津田 正史 教授のグループが、沖縄県西表島近海の海底砂泥より分離した渦鞭毛藻Amphidinium属HYA024株から単離された天然物で、2007年にアメリカ化学会の「The Journal of Organic Chemistry」誌に掲載された論文で報告されました*⁶⁾ 。しかし、本天然物には理論上2¹²= 4,096通りの立体異性体が存在するため、NMRデータのみで唯一の正しい構造式を絞り込むことは困難を極め、立体構造の決定は難航しました。実際に、数多くの研究グループがNMR構造解析や合成化学などの従来的なアプローチにより立体構造の解明に挑戦したものの、成功しませんでした。このため、イリオモテオリド-1a は"(one of) current challenging molecules for configurational assignment"(現在、立体構造の決定が最も困難な分子の一つ)*⁷⁾ として知られていました。
2.研究内容と成果
本研究ではNMR構造解析、計算化学、合成化学の統合的アプローチを新たに考案し、イリオモテオリド-1aの立体構造を解明することとしました。また、立体構造の決定にあたっては、マクロラクトン*⁸⁾ 領域と側鎖領域に問題を分割し、それぞれ決定する戦略としました。
マクロラクトン領域は理論上2¹⁰ = 1,024通りの立体異性体が存在するため、立体異性体を一つ一つ検討するのは膨大な時間と労力を要します。このため、まず津田教授の研究グループが保管していたイリオモテオリド-1aの天然標品のNMRデータを再解析し、候補となる立体異性体群を絞り込みました。次いで、分子力場計算*⁹⁾ と天然標品のNOEデータ*¹⁰⁾ を元にマクロラクトン領域の立体構造を帰属しました。
続いて、今回帰属した立体構造の妥当性を検証するため、イリオモテオリド-1aの側鎖領域を簡略化したモデル化合物を合成し、そのNMRデータが本天然物のマクロラクトン領域のそれを再現することを確認しました。
残る側鎖領域については、理論上4種類の立体異性体がありえますが、NMRデータの解析や分子力場計算では立体構造の帰属が困難でした。そこで、量子化学計算と統計処理、すなわち、GIAO NMR計算*¹¹⁾ とDP4+解析*¹²⁾ を実施して、正しい立体構造を予測しました。これにより、最終的にイリオモテオリド-1aの立体構造をすべて帰属することができました。
最後に、本研究で帰属したイリオモテオリド-1aの立体構造は、初の完全化学合成(全合成)により確認しました。すなわち、市販原料より18工程にて供給したイリオモテオリド-1aの合成品は、天然標品と各種NMRデータおよび比旋光度がよい一致を示しました。イリオモテオリド-1aの合成品が、培養ヒトがん細胞に対してナノモル濃度で増殖を阻害することも確認しました。
天然同族体イリオモテオリド-1bについても同様に、NMR構造解析、計算化学、合成化学の統合的アプローチにより、立体構造を完全に決定するとともに、全合成を達成しました。
3.本研究成果の意義
本研究は、2007年の単離論文発表以降、大きな注目を集めながら17年間にわたり未解決であったイリオモテオリド-1aおよび-1bの全立体構造を決定するとともに、初の全合成を達成したもので、現在までにイリオモテオリド-1a を50ミリグラム以上、全合成により供給することに成功しています。参考までに、2007年の単離論文では、渦鞭毛藻の培養液400リットルからイリオモテオリド-1aをわずか4.3ミリグラム得ているのみです。生産生物の培養による化合物供給が容易ではないため、今後、合成品を用いて本天然物の生物機能を詳細に解析する道が拓けました。
また、よりブロードな意義として、本研究は複雑な天然物の構造決定において、NMR構造解析、計算化学、合成化学の統合的アプローチが極めて有効であることを実証しました。いまだ数多くの複雑な天然物の構造式が定まらず、その利活用が立ち遅れていることを鑑みれば、本研究で開発した統合的アプローチによる天然物の構造解明を進めることで、天然物創薬やケミカルバイオロジーなどの研究領域に革新的な化合物を供出できるものと期待されます。
●この研究成果のもととなった研究経費
以下の支援を受けて実施しました。ここに深謝いたします。
○科研費「アンフィジニウム属渦鞭毛藻の有用二次代謝産物の探索と開発」(課題番号23K21364)
○科研費「複雑海洋天然物の実践的全合成と構造改変による立体配座・活性制御」(課題番号22K05336)
○自然科学研究機構 岡崎共通研究施設 計算科学研究センター (課題番号23-IMS-C289)
【発表者の情報】
尾花 知紘(中央大学大学院理工学研究科 博士課程前期課程 学生(当時))
中島 美結(中央大学大学院理工学研究科 博士課程前期課程 学生)
中里 一貴(中央大学大学院理工学研究科 博士課程前期課程 学生(当時))
中川 颯人(中央大学大学院理工学研究科 博士課程前期課程 学生(当時))
村田 佳亮(中央大学理工学部 助教)
津田 正史(高知大学農林海洋科学部/海洋コア国際研究所 教授)
不破 春彦(中央大学理工学部 教授)
【各研究機関の役割】
中央大学:計算化学と合成化学による候補構造式の導出、全合成による構造確認
高知大学:天然標品のNMR解析とデータの検証
【発表雑誌】
雑誌名:アメリカ化学会誌「Journal of the American Chemical Society」(オンライン版)
タイトル:"Iriomoteolide-1a and -1b: Structure Elucidation by Integrating NMR Spectroscopic Analysis, Theoretical Calculation, and Total Synthesis"
https://pubs.acs.org/doi/10.1021/jacs.4c11714
著者名:Tomohiro Obana, Miyu Nakajima, Kazuki Nakazato, Hayato Nakagawa, Keisuke Murata, Masashi Tsuda,* Haruhiko Fuwa*
(*責任著者)
DOI:10.1021/jacs.4c11714
【お問い合わせ先】
<研究に関すること>
不破 春彦 (フワ ハルヒコ)
中央大学理工学部 教授(応用化学科)
E-mail: hfuwa.50m[アット] g.chuo-u.ac.jp
津田 正史 (ツダ マサシ)
高知大学農林海洋科学部 教授
E-mail: mtsuda[アット] kochi-u.ac.jp
<広報に関すること>
中央大学 研究支援室
TEL 03-3817-7423 または 1675 FAX 03-3817-1677
E-mail: kkouhou-grp[アット] g.chuo-u.ac.jp
高知大学 広報・校友課広報係
TEL 088-844-8643 FAX 088-844-8033
E-mail:kh13[アット]kochi-u.ac.jp
※[アット]を「@」に変換して送信してください。
【用語解説】
*1)渦鞭毛藻:
主に海洋に生息する単細胞生物で、鞭毛を使って回転性の遊泳運動をするものが多い。光合成による独立栄養性と、他の原生生物等を捕食する従属栄養性に分類される。多種多様な天然物の生産者として知られている。
*2)ここでの「立体構造」は、学術的には「立体配置」と呼ぶのが正確である。
*3)NMR構造解析:
核磁気共鳴(Nuclear Magnetic Resonance)スペクトルによる構造解析。
*4)異性体:
同じ分子式を持ちながら、構造の異なる化合物のこと。異性体は、構造異性体と立体異性体に分かれており、構造異性体は、異性体のうち分子式が同じで構造式が異なるもの、立体異性体は、分子の立体的な構造が異なるために生じる異性体である。
*5)二次代謝産物:
生物が生産する化合物のうち、核酸やアミノ酸、脂質、糖質など生命を維持するために必須の化合物を一次代謝産物、その他の化合物を二次代謝産物と呼ぶ。二次代謝産物は、同種個体間のコミュニケーションや異種生物間の生存競争のために生産されると考えられている。
*6)Tsuda, M.; Oguchi, K.; Iwamoto, R.; Okamoto, Y.; Kobayashi, J.; Fukushi, E.; Kawabata, J.; Ozawa, T.; Masuda, A.; Kitaya, Y.; Omasa, K. Iriomoteolide-1a, a Potent Cytotoxic 20-Membered Macrolide from a Benthic Dinoflagellate Amphidinium Species. J. Org. Chem. 2007, 72, 4469-4474.
*7)Molinski, T. F.; Morinaka, B. I. Integrated approaches to the configurational assignment of marine natural products. Tetrahedron 2012, 68, 9307-9343.
*8)マクロラクトン:
12個以上の原子から構成される大環状ラクトンの総称。
*9)分子力場計算:
分子の立体配座のエネルギーを、原子と原子の間に働くポテンシャルエネルギーの総和として求める計算法で、電子状態を無視するために計算コストが低く手軽な反面、エネルギーの確度が低い。
*10)NOEデータ:
NOEとはNuclear Overhauser Effectの略で、NMR測定法の一種である。NOE測定で得られるシグナルの強度は、異なる原子核間距離の6乗に反比例する。したがって、NOE測定をすれば、どの原子とどの原子が空間的に近接しているかを知ることができる。
*11)GIAO NMR計算:
Gauge-Independent Atomic Orbital (GIAO)法に基づいて、分子に含まれる各原子のNMR遮蔽テンソルを計算する。これにより任意の分子のNMR化学シフト値を理論的に算出することができる。
*12)DP4+解析:
Sarottiらにより提案された、NMRデータを元に立体配置を帰属するための手法。候補となる立体異性体それぞれにつき、分子力場計算により得た立体配座群を構造最適化したのち、GIAO NMR計算を行い、独自の統計手法により処理する。これにより、NMRデータがどの立体異性体に対応するかをDP4+確率として予測する。
以 上
▼本件に関する問い合わせ先
中央大学広報室
山本 麻耶
TEL:042-674-2047
【リリース発信元】 大学プレスセンター
https://www.u-presscenter.jp/