金沢工業大学バイオ・化学部応用バイオ学科・小島正己教授(前産業技術総合研究所)は、大阪大学大学院生命機能研究科の張理正(現・延世大学研究員)、山本亘彦教授らとの共同研究で、脳損傷後に失われた機能を代償するために必要な神経回路を作り出す分子機構を解明しました。今後、損傷後の機能回復を促す新たな治療法の開発へつながることが期待されます。
本研究成果は、米国科学誌「the Journal of Neuroscience」に、12月9日にプレビュー、オンライン公開されていました。
研究成果のポイント
*脳損傷後の軸索(※1)成長(神経発芽)を促進する分子を発見
*最新の遺伝子解析法により、古くから知られていた神経発芽の分子機構を解明
*機能回復の治療への応用に期待
研究の背景
中枢神経は損傷後の再生が困難であることが知られています。しかし、損傷されたニューロン自体の再生ではなく、代償的な神経回路が新たに形成されることによって、機能回復に貢献することが知られています。
図1 片側の大脳損傷後、活性化グリア細胞が損傷側中脳に出現し、神経発芽を誘導する分子を発現する。
その一つとして、大脳皮質運動野(※2)から中脳(※3)への神経投射が挙げられます。運動野ニューロンは同側の中脳へ投射していますが、一側性の大脳損傷により、本来ほとんど存在しない対側性の神経投射が出現します(図1参照)。この過程においては、損傷されていない側の大脳皮質ニューロンの軸索から側枝が出現し(神経発芽、neural sprouting)、新たな神経回路が形成されるのです。
成体の脳において神経発芽が生じて機能回復に貢献することは、1970年代世界に先駆けて、故塚原仲晃教授(当時、大阪大学基礎工学部)らによって報告されました。その後、幼い時期ほど顕著であることが判ってきましたが、その細胞・分子機構に関してはこれまで明らかになっていませんでした。
研究の成果
この問題を明らかにするために、損傷側の中脳から誘引性因子が発現し、残った大脳から対側性の神経投射を誘発するという仮説を立てました。その仮説をもとに、幼若期のマウスで片方の大脳を除去した後、中脳での遺伝子発現をRNAseq(※4)により調べました。その結果、多くのグリア細胞(※5)由来分子の発現が損傷側の中脳で上昇していることが分かりました。実際、損傷側中脳では活性化されたアストロサイト(※6)やミクログリア(※7)が広範囲に分布していました。そのグリア由来分子の中で新たな対側性の投射形成に関わっている分子を突き止めるため、CRISPR/Cas9システム(※8)を用い、候補分子の受容体をマウス大脳皮質ニューロンで欠損させる実験を行いました。
その結果、細胞外マトリックス分子(※9)であるオステオポンチン(※10)やフィブロネクチン(※11)の受容体であるインテグリンベータ3 (Itgb3)と、脳由来神経栄養因子(※12)の受容体(TrkB)を欠損させることで、対側性の神経投射が減少したことから、これらの分子経路が回路再編に関わっていることが明らかになりました。
このように、幼若期に一側性に大脳皮質が損傷されると、神経支配が失われた損傷側の中脳においては活性化されたグリア細胞が広範囲に分布するようになり、これらのグリア細胞が産生するオステオポンチン、フィブロネクチン、脳由来神経栄養因子によって対側性の皮質ニューロンの軸索成長、神経発芽が促進されることが明らかになりました。
本研究成果は、2021年12月9日に米国科学誌「the Journal of Neuroscience」(オンライン)に掲載されました。
タイトル:
Involvement of denervated midbrain-derived factors in the formation of ectopic cortico-mesencephalic projection after hemispherectomy
著者名:
Leechung Chang (張理正、大阪大学大学院生命機能研究科)、Mayuko Masada (正田真侑子、大阪大学大学院生命機能研究科)、Masami Kojima (小島正己、金沢工業大学、前産業技術総合研究所)、Nobuhiko Yamamoto (山本亘彦、大阪大学大学院生命機能研究科)
本研究成果が社会に与える影響(本研究成果の意義)
幼い時期に顕著な回路再構築の分子機構が解明され、脳損傷による新たな神経回路の再編成、および脳機能回復のための臨床的応用につながることが期待されます。
用語説明
※1 軸索:神経細胞の細胞体から伸びる突起を、形態的な特徴から2つに分類したうちの一つ (他方は樹状突起) 。電気的興奮(活動電位)を伝える機能を担い、他の神経細胞や効果器への情報の出力を担う。
※2 大脳皮質運動野:大脳皮質の中で運動に関係している領域。 ヒトやサルの脳では、大脳半球を前後に分ける中心溝のすぐ前に位置し、局所的な電気刺激により身体の反対側の一部に限局した運動を誘発する。
※3 中脳:脊椎動物の脳の一部で、間脳の後方、小脳および橋(きょう)の上方に位置する。大脳皮質運動野と共に四肢の運動機能に関わる他、眼球運動、原始的な視聴覚機能を担う。
※4 RNAseq:次世代シーケンスを用いて取得したリードの情報から、全ての遺伝子の発現量を網羅的に解析する手法。
※5 グリア細胞:神経細胞の生存や機能発現のための脳内環境の維持と代謝的支援を行う細胞。近年、神経細胞間の信号伝達やネットワーク形成における役割がクローズアップされている。グリア細胞には、神経細胞の生存と働きを助ける「アストロサイト」、中枢神経系の免疫担当である「ミクログリア」、神経伝達速度を上げるためのミエリン鞘を作る「オリゴデンドロサイト」がある。
※6 アストロサイト:神経細胞に栄養を供給したり、過剰なイオンや神経伝達物質を速やかに除去することにより、神経細胞の生存と働きを助けているグリア細胞。細胞体から複雑な形の突起を伸ばし、星のような外見から命名されている。
※7 ミクログリア:中枢神経系の免疫担当細胞として知られ、アストロサイトやオリゴデンドロサイトとは異なり、胎生期卵黄嚢で発生する前駆細胞を起源とする。
※8 CRISPR/Cas9:ゲノム中で任意の領域を切断できる遺伝子改変ツールである。切断したい標的塩基配列に相補的な配列を含むガイドRNAとDNA切断酵素Cas9により、ゲノム上の任意の配列を切断することができる。近年のノーベル化学賞の対象にもなった強力なゲノム編集技術。
※9 細胞外マトリックス分子:細胞や組織を囲む網目構造を形成する分子群で、コラーゲン、糖タンパク質、プロテオグリカンなどが含まれる。細胞の動的挙動や細胞間情報伝達などを制御する。
※10 オステオポンチン:約300アミノ酸からなる糖タンパク質。骨形成制御や免疫系において様々な生理機能を有することが報告されている。
※11 フィブロネクチン:約2000アミノ酸からなる巨大な糖タンパク質。細胞形態、細胞骨格、止血、胚分化、および創傷修復など多様な局面で機能する。
※12 脳由来神経栄養因子:神経成長因子(nerve growth factor)ファミリーに属する分子として、受容体であるTrkBを介してニューロンの生存、樹状突起や軸索の伸展、シナプス形成、シナプス機能調節、細胞死、記憶学習形成といった極めて広範で多岐にわたる機能を持つことが知られている。
▼本件に関する問い合わせ先
金沢工業大学 広報課
住所:石川県野々市市扇が丘7-1
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メール:koho@kanazawa-it.ac.jp
【リリース発信元】 大学プレスセンター
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