鳥インフルエンザウイルスがヒトに感染しやすくなる「初期段階」を解明
— NAとHAという2つの表面タンパク質の“協調”が鍵 —
東京慈恵会医科大学ウイルス学講座の渡邊洋平教授らによる研究グループは、H5N1亜型鳥インフルエンザウイルスがヒトに適応し始める初期の段階において、ウイルス表面タンパク質ノイラミニダーゼ(NA)と、別の表面タンパク質であるヘマグルチニン(HA)が協調して変異することで感染しやすくなっていることを明らかにしました。新型インフルエンザを予測し被害を抑えるには、鳥インフルエンザウイルスがヒトに適応し始める「初期段階」を正確に理解することが必要です。本成果は、今後のパンデミックリスク評価や監視戦略の高度化に貢献するものです。本研究成果は、2026年1月24日午前4時(米国東部時間1月23日14時)に米国学術誌「PLOS Pathogens」(オンライン)に掲載されました。
ポイント
- 鳥インフルエンザがヒトに適応する多くの場合、NA変異は患者由来のHA変異(鳥型受容体からヒト型受容体結合をわずかに高める変異)と同時に存在していました。
- HAとNAが同時に変異したウイルスは、HAのみ変異した場合よりもヒトの細胞内で増殖しやすくなりました。
- これらの変異は季節性インフルエンザほど強くヒトに適応し感染しやすくなるものではなく、ヒト適応の初期・過渡的段階に相当することが示されました。
- これらにより、H5N1ウイルスは、HAだけでなくNAも微調整しながら段階的にヒトへ適応していくことが示唆されました。
今後は、世界各地で収集されるウイルス遺伝子情報をもとに、ヒト適応の初期段階を示す分子パターンの監視や、公衆衛生上の早期警戒システムへの応用が期待されます。
脚注、用語説明
• ヘマグルチニン(HA)
ウイルスが細胞表面の受容体に結合するためのタンパク質。
• ノイラミニダーゼ(NA)
ウイルスが細胞から離れて広がる際に働く酵素。HAとの機能バランスが重要。
• α2,3/α2,6シアル酸
細胞表面に存在する糖鎖受容体の種類。
鳥の腸管上皮では主にα2,3型(鳥型受容体)、ヒト気道上皮ではα2,6型(ヒト型受容体)が多い。鳥インフルエンザウイルスは鳥型受容体と強く結合するが、ヒトに適応した季節性インフルエンザウイルスはヒト型受容体に優先的に結合する。そのため、鳥インフルエンザウイルスが人類に対するパンデミックウイルスとなるためには、ウイルスの受容体指向性が「鳥型」から「ヒト型」に変化する必要があると考えられている。
• クレード2.2
2006~2017年に中東・アフリカで流行し、359名のヒト感染例を出したH5N1ウイルス系統。
研究の詳細
H5N1亜型鳥インフルエンザウイルスは、通常は鳥に感染するウイルスですが、まれにヒトへ感染し、重篤な症状を引き起こすことがあります。中でもクレード2.2と呼ばれる系統は、ヒトへの感染報告が例外的に多く、将来的なパンデミックリスクの観点から注目されてきました。
これまで、ウイルスがヒトに適応する過程では、ヒト細胞の受容体に結合するヘマグルチニン(HA)の変異が重要であると考えられてきました。一方で、もう一つの表面タンパク質であるノイラミニダーゼ(NA)はウイルスが受容体から解離する際に必要な活性を持っていますが、ヒト適応の初期段階でどのような役割を果たすのかについては、十分に解明されていませんでした。
本研究では、H5N1ウイルスクレード2.2に感染したヒト患者由来のウイルス遺伝子データを網羅的に解析し、ヒト感染例で繰り返し検出されるNAの変異を特定しました。その結果、患者由来ウイルスから20種類のNA変異(単独変異および自然に同時に生じた変異の組み合わせ)が同定されました。
これらの変異を人工的に組み込んだ組換えウイルスを作製し、ヒト気道上皮細胞を用いた培養実験で機能解析を行ったところ、多くのNA変異はNAの酵素活性を約20~80%程度に穏やかに低下させることが分かりました。この「ほどよい低下」によって、ヒト型受容体(α2,6型シアル酸)保有細胞ではウイルス増殖が最大で約10倍以上向上するケースが確認されました。一方、NAの酵素活性が過度に低下すると、逆にウイルスの増殖は著しく阻害されました(図1)。
これらの結果は、H5N1ウイルスがヒトに適応していく初期段階では、HAとNAが協調的に機能しながら段階的に変化していくことを示しています(図2)。ポイントは、これらの変異が一気に強いヒト適応をもたらすものではなく、あくまで初期段階の「微調整」として機能している点です。これは、ウイルスが段階的にヒトへ適応していく過程を理解するうえで重要な知見です。新型インフルエンザウイルスの出現を予測し、被害を最小限に抑えるためには、鳥インフルエンザウイルスがヒトに適応し始める「初期段階」を正確に理解することが必要です。今後は、こうしたHAとNAの組み合わせ変異に注目した監視体制を強化することで、ヒト適応の兆候をより早期に検知できる可能性があります。
本研究は、鳥インフルエンザウイルスのヒト適応が「一つの変異で急激に起こる」のではなく、複数の遺伝子変化が段階的に積み重なる過程で進行することを示した点で重要です。今後のパンデミックリスク評価や監視戦略の高度化に貢献する成果といえます。
<タイトル>
Intra-patient neuraminidase mutations in avian H5N1 influenza virus reduce sialidase activity to complement weaker hemagglutinin binding and facilitate human infection
<著者名>
Yohei Watanabe*#, Madiha S. Ibrahim, Yasuha Arai, Daisuke Kuroda, Emad M. Elgendy, Shin-ichi Nakakita, Yohei Takeda, Vuong Nghia Bui, Takao Ono, Shota Ushiba, Tomo Daidoji, Nongluk Sriwilaijaroen, Haruko Ogawa, Kazuhiko Matsumoto, Yasuo Suzuki, Takaaki Nakaya *:筆頭著者 #:責任著者
<雑誌名>
PLOS Pathogens
DOI: 10.1371/journal.ppat.1013863
URL: https://journals.plos.org/plospathogens/article?id=10.1371/journal.ppat.1013863
共同研究グループ
東京慈恵会医科大学 ウイルス学講座 教授 渡邊洋平(ワタナベ・ヨウヘイ)
エジプト・アラブ共和国 ダマンフール大学獣医学部 教授 Madiha S. Ibrahim、講師 Emad M. Elgendy
京都府立医科大学 感染病態学教室 研究員(研究当時) 荒井泰葉(アライ・ヤスハ)、教授 中屋隆明(ナカヤ・タカアキ)
日本大学 文理学部 生命科学科 准教授 黒田大祐(クロダ・ダイスケ)
香川大学 医学部 総合生命科学講座(糖鎖機能)准教授 中北愼一(ナカキタ・シンイチ)
帯広畜産大学 獣医学研究部門 准教授 武田洋平(タケダ・ヨウヘイ)、教授(研究当時) 小川晴子(オガワ・ハルコ)
ベトナム国立獣医学研究所 ウイルス学部門 部長 Vuong Nghia Bui
大阪大学 大学院基礎工学研究科 機能創成専攻 准教授 小野尭生(オノ・タカオ)
株式会社村田製作所 牛場翔太(ウシバ・ショウタ)
酪農学園大学 獣医学群 准教授 大道寺智(ダイドウジ・トモ)
タイ王国タマサート大学 医学部 准教授 Nongluk Sriwilaijaroen
大阪大学 産業科学研究所新産業創造システム研究分野 特任教授 松本和彦(マツモト・カズヒコ)
静岡県立大学 薬学部 名誉教授 鈴木康夫(スズキ・ヤスオ)
研究支援
本研究は、日本学術振興会(JSPS)科学研究費助成事業基盤研究(B)「アジア・アフリカの新興感染症ホットスポット域におけるウイルス進化動態の調査研究(20KK0224、研究代表者:渡邊洋平)」、「未開拓な短鎖viral RNAに着目した新興ウイルスに普遍的な重症化機序の解明(23K24141、研究代表者:渡邊洋平)」、「細胞内pH環境に基づく鳥インフルエンザウイルスの宿主域と適応機構に関する研究(25K02180、研究代表者:大道寺智)」、科学技術振興機構(JST)未来社会創造事業「世界一の安全・安心社会の実現」領域「ヒト感染性ウイルスを迅速に検出可能なグラフェンFETセンサーによるパンデミックのない社会の実現(JPMJMI22D2、研究代表者:松本和彦)」、武田科学振興財団(渡邊洋平)、化学及血漿療法研究所研究助成(渡邊洋平)による助成を受けて行われました。
