日程 : 2024年10月28日(月) 国の重要文化財 明治生命館 地下1階
東京・丸の内にて、荘厳な建築を誇る国の重要文化財「明治生命館」。その地下1階にあるクラブレストラン「センチュリーコート丸の内」のメインダイニングレストラン「ロゼット」では、19世紀後から20世紀にかけて活躍した偉大な料理人オーギュスト・エスコフィエの誕生日(10月28日)を祝い、その当日となる10月28日(月)限定で「エピキュロスの晩餐会」と銘打った一夜限りのディナーコースを提供します。
オーギュスト・エスコフィエは、19世紀後半から20世紀にかけて活躍した偉大な料理人。10月28日は、エスコフィエの誕生日にあたり、この日は毎年、世界中のホテルやレストランでエスコフィエの誕生日を祝う「エピキュロスの晩餐会」という催しが行われます。レストラン「ロゼット」では、現代フレンチを作り上げたエスコフィエに敬意を払いながらも、シェフ・鏡智行の「自分が生まれ育った日本で、自分にしかできないフランス料理を創る」という信条を軸に、フランス料理の代表メニューを新しく解釈し直し、「エピキュロスの晩餐会」コースを創りました。エスコフィエ、そしてフランス料理の歴史に想いを馳せながら、極上のひと時をお楽しみください。
~オーギュスト・エスコフィエ~
モンテ・カルロのグラントテル、ロンドンのサヴォイホテル、カールトンホテルの料理長を歴任し、1898年よりパリのヴァンドーム広場にあるオテル・リッツの料理長に就任。 1903年にはフランス料理のバイブルとも言える「ル・ギッド・キュリネール」を刊行。
現代フランス料理を体系化したこの書には、5,000以上の料理のレシピが掲載され、その後のフランス料理の発展に大きく寄与したことで知られています。
センチュリーコート丸の内 レストラン「ロゼット」
エピキュロスの晩餐会コース 提供概要
◇提供日時:
2024年10月28日(月) ディナー 18:00~22:00(20:00 LO)
◇ 内容:
・ フォアグラのロワイヤル
・ サーモンフュメ サラダコンポーゼ
・ オマール海老とセップ茸のヴォロヴァン
・ コキーユサンジャック・ア・ラ・パリジェンヌ
・ 京都七谷鴨胸肉のロティ ソースーアネーズ
・ ポワール・ア・ラ・ヴァニーユ
◇ 価格:
16,500円(税込・サービス料別)
※当日は当コースのみの提供となります。
◇ 店舗:
「センチュリーコート丸の内」内 レストラン「ロゼット」
東京都千代田区丸の内2-1-1 明治生命館 B1F Tel.03-3213-1711
◇ 公式HP:
http://www.century-court.com
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「京都亀岡 七谷鴨」
※メイン「谷鴨胸肉のロティ ソースーアネーズ」に使用京都亀岡 七谷鴨
フランス産シャラン鴨に負けない味を目指した国産鴨。
七谷鴨は、亀岡市を流れる七谷川のほとりの自然豊かな敷地で育てられています。
自然に近い状態で力強くのびのびと育てるため、1平方メートルあたり5羽のスペースを確保し、ストレスを与えないよう環境を整えています。
飼料は、抗生物質や抗菌剤を一切使用せず、乳酸菌やポリフェノールを加えて作るオリジナルブレンドです。
クセが少なく、濃厚な旨みと芳醇な甘みを備えた、味わい深い七谷鴨をエピキュロスの晩餐会コースのメインディッシュに仕立てます。
「ポワール・ア・ラ・ヴァニーユ」
エスコフィエがオペラ歌手・ネリー・メルバのために作ったという「ピーチ・メルバ」を、洋ナシでアレンジしたデザート。
■「センチュリーコート丸の内」について
1934年に竣工され、昭和の激動を乗り越えた国の重要文化財「明治生命館」。『センチュリーコート丸の内』は、その地下1階、400坪で展開するクラブレストランです。1976年、東京・六本木に創業、2008年に現在の場所に移転オープン。複合飲食施設として、フレンチ「レストラン ロゼット」、和食「二十四節季 朔 –SAKU-」、バー「マーブル」、パーティールーム「アカンサス」の他、会員制クラブ(会員専用施設)を備えます。
鏡 智行シェフが料理を手がける「レストラン ロゼット」は、コース料理13,200円~、鉄板施設も併設(鉄板「シェフズテーブル」は、コース料理19,800円~)。薄義貞料理長が料理を手がける「二十四節季 朔」はお任せコース16,500円のみ、二週毎に献立を変更いたします。(献立により金額が変更する場合がございます)
会員制クラブは、約1,500名のメンバーが所属。メンバーは会員専用施設を利用できる他、『センチュリーコート丸の内』及び提携レストラン6店舗にて優待利用が適用されます。
■ レストラン「ロゼット」シェフ・鏡 智行
1990年に渡欧し、スイス、フランス、ベルギーを回り、料理の修業を積む。
ベルギーでは三ツ星レストラン「ブルノー」に勤務。
1992年に帰国し、センチュリーコート調理部へ。2001年、料理長に就任。
「自分が生まれ育った日本で、自分にしかできないフランス料理を創る」を信条に、生産の現場に足を運び生産者と交流を図りながら食材を選ぶ取組みを実施。
日本各地を巡り、生産過程の工夫や苦労について生産者の方々に直接お話を伺うことで、その食材への想いを最高の形に調理し、お客様に提供しています。