-「ハエをだます花」の香り放出時間とハエの活動時間の同調性の発見-
| 国立科学博物館(館長:真鍋 真)の研究主幹 奥山雄大(植物研究部・筑波実験植物園/東京大学大学院理学系研究科兼任)は、横浜市立大学、昭和医科大学、台湾大学との共同研究により、伊豆・箱根地域に固有の植物オトメアオイを、一秒単位の時間分解能で花の香りの放出パターンの日周変動を観測することに成功しました。その結果、発酵した果実や腐敗物に擬態しているとみられる本種の花の香りが送粉者のハエ類の活動パターンに同調するように放出されていることを発見しました。このことは、送粉者を誘引するための植物の花の香りが、その物質組成のみならず、放出の時間的パターンにおいても柔軟に適応進化しうることを示していると言えます。本研究成果は、2026年10月7日にAnnals of Botany誌に掲載(発表)されました。 |
○研究のポイント
- ウマノスズクサ科カンアオイ属の1種オトメアオイの花が、発酵した果実や腐敗物の香りによって化学擬態してハエの仲間をだまし、花粉を運ばせていることを確認。
- オトメアオイの花から放出される香り組成と量の時間変化を1秒単位の時間解像度で分析することに成功し、花粉を運ぶハエの一日の活動時間と花の香りの放出時間が同調していることを発見。
- 花の繁殖戦略において、腐敗臭などの香りによって花粉を運ぶ昆虫をだます際、香りの組成だけでなく放出のタイミングもコントロールできる柔軟性を持つものであることを示した。
研究成果の詳細について
【発表論文】
表題:Synchrony of floral volatile emission with diurnal pollinators of possible decomposition mimic
Asarum savatieri (Aristolochiaceae)
著者:Valchanova, A. K., Kakishima, S., Sekimoto, S., Chang, J.-T., Okuyama, Y.
掲載誌:Annals of Botany
(イギリスの植物学専門国際誌・電子版、2026年10月7日付)
(URL)
https://doi.org/10.1093/aob/mcag325
※本研究は、科研費(JP19H03292)、科学技術振興機構(JST)戦略的創造研究推進事業 さきがけ(JPMJPR21D3, JPMJPR21D7)の支援を受けています。
【研究の背景】
花を咲かせる植物(被子植物)の驚異的な多様性を生み出した主要な要因の一つは、植物と花粉を運ぶ動物(送粉者)の関係だと考えられています。その証拠に、植物は多種多様な送粉者を招くために様々な花の形質(姿かたち、香りなどの特徴)を進化させてきました。花の形や色は目に見えて分かりやすく計測も容易な形質ですが、目には見えないけれども重要な花の形質として香りがあります。また香りは他の花の形質と比べ、放出のタイミングやその成分組成などを必要に応じて柔軟に変化させやすいという特性がある可能性があります。
かつて香りの研究は容易ではありませんでしたが、近年では、ガスクロマトグラフィー質量分析法(GC-MS)
*1などの様々な分析技術が広まったことにより、その組成を調べることは難しくなくなってきています。さらにプロトン移動反応質量分析法(PTR-MS)
*2という新しい分析技術によって、空気中の香りの状態をリアルタイムに追跡することも可能になっています。PTR-MSは従来大気化学の研究に適用されてきた技術で、生態学への応用はまだあまりなされてきませんでした。私たちは伊豆・箱根地方に自生するカンアオイ属
*3の1種オトメアオイを対象として、花の香りの放出量や組成の変化がどのように送粉の仕組みと関係して起きるかを検証することにPTR-MSを用いることにしました。
世界最大の花で有名なラフレシアをミニチュア化したような花を咲かせるカンアオイ属(ウマノスズクサ科)は、日本列島で最も著しい多様化を遂げた植物の一つです。カンアオイ属は花の色や形だけでなく、花の香り組成についても種間で極端に多様化しており、これはそれぞれの種が特定の送粉者を誘引することと関係していると考えられます。しかし多くのカンアオイ属の種について、どのような昆虫が送粉者として働いているかはいまだに解明されていません。ただ、カンアオイ属の花は蜜などの送粉者への報酬を出さないことから、「何か」に擬態して昆虫を騙し、送粉者として利用していると考えられ、花の香りが多様であることは、それぞれの種が異なる「何か」に擬態していることを示唆しています。私たちは多様なカンアオイ属の花がそれぞれ何に擬態し、どのような昆虫を騙して送粉者に利用しているかをこれまで長年にわたって調べてきました。
【研究の内容】
本研究は、送粉者をおびき寄せるための花の香りを用いた植物の適応戦略とはどのようなものか?という問いを立て、そこに一つの答えを出したものです。
研究対象とした伊豆・箱根地域の固有種オトメアオイは、カンアオイ属の中でも夏に開花し、果実のような発酵臭を放つ特異な種です。オトメアオイの花の香りを分析したところ、臭いにおいの原因である含硫黄成分ジメチルジスルフィドと、熟した果実に典型的なアルコールやカルボニル化合物といった物質が混在した香りを有することが明らかになりました。また2016年から2023年までの8年間にわたる野外観察の結果、オトメアオイの主要な送粉者はノミバエ科の昆虫の1種(
Megaselia sp.)であることも明らかになりました。このノミバエ科の昆虫は花の中に産卵するものの、幼虫は花内部では育たないことから、オトメアオイの花はこのハエの本来の産卵場所となる「何か」に擬態してハエをだまし、送粉に利用していると考えられました。この他にショウジョウバエの仲間も頻繁に花を訪れていることが分かりましたが、こちらの送粉者としての貢献度ははっきりしませんでした。さらに、野外にトラップを設置する実験を行い、腐った果実単独ではショウジョウバエの仲間だけを誘引するものの、ここに含硫黄成分ジメチルジスルフィドを添加することで送粉者であるノミバエも誘引されることを確認しました。ただ、このような香り成分の組み合わせが実際のところ何に擬態したものなのかについては明らかにできませんでした。
図1:オトメアオイの送粉者のノミバエの1種が背中に大量の花粉(白い粒)を付着させて花の中から出てくる様子(左)と、萼の内側に産み付けられたノミバエの卵(右)
本研究では野外に設置した複数のカメラでのタイムラプス撮影により、花を訪れる動物の継続観察を行いました。その結果、送粉者のハエはほとんど日中にしか花を訪れないという重要な発見がありました。アリや甲虫といった送粉者として寄与していない昆虫類は昼夜問わず花を訪れるのに対し、ノミバエやショウジョウバエをはじめとする小型のハエははっきりとした昼行性のパターンで花を訪れていたのです(図2)。
図2:オトメアオイの花を訪れる昆虫の時間毎の訪花頻度のヒストグラム。アリ(上段)や甲虫類(中段)は昼夜通して訪花頻度があまり変化しないのに対し、ハエ類(下段)は訪花が日中に集中していることが分かる。
このことから私たちは、オトメアオイの花の香りが送粉者を誘き寄せるための適応形質であるならば、その放出時間は日中のみになるように制御されているのではないか?と着想し、次にこのことを検証することにしました。しかし開花後数週間にわたって見かけ上はほとんど変化が見られないカンアオイの花に、果たして本当にそのような「変動」が存在するのでしょうか?
そこでまず私たちは、オトメアオイの栽培株を用い、同じ花から24時間にわたって2時間おきに香りを採取し、GC-MSを用いて分析しました。その結果、日中に感じられる本種の花の果実のような香りを構成するアルコールやカルボニル化合物といった主要成分が、夜間には消失していることが明らかになりました。この発見を受けて、横浜市立大で運用されている特殊な分析機器であるPTR-MSを用いて本種の花の香りの放出パターンを1秒単位でより詳細に調べることにしました。
その結果は驚くべきものでした。主要な花の香り成分は日中に大量に放出されている一方、夜間にはこれらの香り物質の放出は完全に止まっていました(図3)。そこでこの香りの放出パターンが本当に送粉者の訪花パターンと同調しているかを検証するために、私たちは花の香りの放出量の時間分布と、昆虫が花を訪れる頻度の時間分布との間での「重なり」を評価する指標を考案し、定量的な解析を試みました。その結果、主要な花の香り成分の全てについて、放出パターンの同調は主要な送粉者であるノミバエやショウジョウバエをはじめとするハエ類の訪花パターンのみに存在し、他の昆虫の訪花とは同調が見られないことが明らかになったのです(図4)。このことは、オトメアオイの花の香りがその物質組成のみならず、放出の時間的パターンにおいても特定の送粉者(ハエ類)の誘引に適応した形質であることを示しています。
図3:PTR-MSによって可視化されたオトメアオイの花の香り成分の放出パターンの時間変動。各色の折れ線グラフが個別の花の香り物質の時間当たりの放出量を表し、昼間が放出量のピークになっていることが読み取れる。
図4:各花の香り物質ごとの放出パターンと各送粉者の訪花パターンの同調の指標値のグラフ。正の指標値は同調していることを示す。ハエ類の訪花パターンのみ花の香りの放出と同調していることが分かる。
【本研究の意義と展望】
本研究は、これまで極めて限られていたカンアオイ属の送粉様式について重要な知見を得たということにとどまらず、花が送粉者を誘引するために香りの放出タイミングを精巧に制御していることを示した数少ない研究例となります。このことは、送粉者を誘引するための植物の形質としての花の香りが、その物質組成のみならず、放出の時間的パターンにおいても適応進化しうることを示しています。今後は、他のカンアオイ属の種では異なる花の香りの放出のタイミング調整が存在するのか?といった問題や、香りの放出がどのような遺伝的メカニズムで制御されているのか?といった問題に取り組むことで、花の香りの適応進化のメカニズムにその物質組成のみならず放出のタイミングという視点からも迫っていきたいと考えています。
【用語解説・その他】
*1ガスクロマトグラフィー質量分析法(GC-MS)
大気中の揮発性有機化合物(VOC)を分析する代表的な手法。まずガス状の化合物群を捕集し、ガスクロマトグラフィー(GC)で分離した後、電子イオン化(EI)によってイオン化し、質量分析(MS)によって検出する。EIにより得られる特徴的な質量スペクトルを既存のデータベースと比較することで、化合物を高精度に同定できることから、植物が放出する香り成分や大気中微量成分の分析に広く利用されている。
*2 プロトン移動反応質量分析法(PTR-MS)
大気中の揮発性有機化合物(VOC)をリアルタイムで高感度に測定できる分析手法。試薬イオン(H₃O⁺)とのプロトン移動反応を利用して多くのVOCを選択的にイオン化するため、ガス試料の捕集や濃縮などの前処理を行うことなく、ppb〜pptオーダーの大気中微量成分を直接測定できる。一方で、化合物の構造や異性体の識別は容易ではないため、化合物の高精度な同定が可能なGC-MSと併用されることが多い。
*3 カンアオイ属
カンアオイ属はウマノスズクサ科の植物の一群で、葉の下で、地面すれすれに花を咲かせるのが特徴。この花はまるで世界最大の花として知られるラフレシアのミニチュアのようで、実際にラフレシアの花と同じように臭いにおいを放つものがある。
カンアオイの名前は「寒葵」に由来し、これは徳川家の家紋のモチーフとなっている葵(フタバアオイ)に近縁で、冬でも葉が残る常緑性であることにちなむ。
研究者情報
(本研究について)
独立行政法人 国立科学博物館
担当研究員:植物研究部多様性解析・保全グループ 研究主幹 奥山 雄大
東京大学大学院理学系研究科生物科学専攻博士課程
ブルチャノバ アンナ
公立大学法人横浜市立大学大学院生命ナノシステム科学研究科
准教授 関本 奏子
